住吉川に架かる橋 | ||
2008年05月31日 山と橋を渡る Masao's Photo Gallery |
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今日は雨、一日おとなしくしているつもりだったが、小降りになってきたので住吉川一人歩きを思い立ち、2号線に架かる住吉橋からスタート! |
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住吉橋の名板 |
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住吉川は天井川、この川の下をJRが通り抜ける |
東灘区、なかでも旧住吉村は豊かな村だったようだ。多分水量豊富な住吉川がその恵みの源泉であったのだと思う。昭和51年に区役所か発行した「東灘区25年」によれば「戦前には、芦屋市(当時精道村)を含めて6ヶ町村合併がよく議論されたが六ヶ町村の利害が一致せず、特に住吉村は財政裕福なため独自の道を歩む傾向が強かった。」書かれている。 また、昭和7年度一世帯辺りの租税は1位住吉村1070円、2位御影村286円、3位精道村(芦屋)182円、・・・7位神戸市122円(順位は県下400市町村)」と住吉村がずば抜けて高く、この村の豊かさを示している。 |
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昭和25年住吉橋ができる年に御影、住吉、魚崎の3町村で東灘区が誕生、魚崎町では、町有財産の一部を市に引き継がず、独立して維持管理してゆくため、魚崎財産区が設けられた。住吉村は19年に譲り受けた私立女学校を主体とした住吉学園(財)に村有財産を委譲し財産区と同じような運営を行っている。住吉村がうまく考えたのは地方自治法で定められた特別地方公共団体ではなく学校法人としたとこにある。東灘はだんじりが盛んなところであり、財産区では特定宗教に対する寄付等は禁じられているが、住吉学園は学校法人である故に神事である「だんじり」に対しても自由に助成ができるのだそうだ。 |
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住吉川には川床を自由に渡れるように飛び石が所々設置されている。昔から在ったようで川が人々の生活に溶け込んでいたのだと思う。住吉川の清流を守る会の活動も活発で、毎年蛍の幼虫の放流や定期的な清掃が行われ、大都会にはめずらしい清流が維持されている。 |
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阪急電鉄のトラス橋と飛び石橋を渡る子供たち さ桧隈 桧隈川の瀬を早み 君が手取らば言寄せむかも
さひのくま ひのくまがはの せをはやみ きみがてとらば ことよせむかも (川を渡るのに瀬が早いからと、あなたの手を取ったなら恋のうわさになるかしら) 万葉集 作者不明 新落合橋と沈下橋 |
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沈下橋は自然と人間が共存した優れた形式の橋だと思う。住吉川の河川敷はウオーキング、ランニング、散歩、バーベキュと憩いのプロムナードとして親しまれている。大型車がゆうに行き交うことができる遊歩道。それもそのはず、山から海に土を運ぶ工事用道路だったのです。 Mountain goes to sea とアメリカの雑誌に紹介されたように「山、海に行く」 山の跡地は渦が森の団地となり、海は第三工区(魚崎浜町)となった。この沈下橋は工事用道路の交差点だったのかも知れない。 |
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ここがプロムナードの終着点住吉川第二堰堤が立ちはだかる そして見上げれば白鶴美術館が・・・ 多分ここら辺りで蛍の乱舞が見られるのでは 再び住吉川を下り、住吉橋の下に この幻想的な空間がいい 谷崎邸 倚松庵 反高橋の「風と少女」 |
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