東京えとせとら

2008年9月14〜15日  
山と橋を渡る  Masao's Photo Gallery



さくらばし

 所用があり、奥様と東京へ、折角の連休だから久々に芝居を見たり、あちこちと、お登りさんをしてみようと、交通の便の良い品川の新高輪プリンスに泊まることにした。実は交通の便だけでなく宿泊費がリーズナブルというこが決定打だったのだが、失礼ながら、かなり良いホテルだった。なんといっても日本庭園がすばらしかった。あちこちお登りさんをするつもりが、ホテルの中で十分楽しむことができる。
 ホテルの日本庭園は、さくら坂にあって、名前のとおり見事な桜の老木があり、満開の頃はさぞかし美しいだろうと想像できる。桜開花基準木もあった。



さくらばし



開花基準木


季節の頃はさぞかし美しいだろう



池の向こうに少し見ごろが過ぎた百日紅の大木が



 ところで、今日の芝居は紀伊国屋サザンシアターで青年劇場公演の「藪の中から龍之介」。とりあえず新宿まで行ってみることにした。代々木で降りて、サザンシアターを確認し、そのまま歩いて新宿へ。紀伊国屋ホールの地下で食事して、少し時間が余ったので「花園神社」に花園饅頭を買いに行くことになった。
 
 花園神社の狛犬は阿は子供を、吽は玉を抱いていた。本殿で厄払いのお願いをして、お目当ての花園饅頭屋さんへ。お饅頭屋さんには茶室があって、女将さんにお薄を点てて頂いた。濡れ納豆がとてもおいしかったのでお土産に。



茶室 甘雨亭 


奥様はおうす、私はお茶で花園饅頭をいただく



青年劇場の公演ポスターから

『藪の中から龍之介』

青年劇場 9月15日14:00〜16:50
代々木 紀伊国屋サザンシアター
芝居は
 龍之介がなくなった日、彼が生み出した登場人物たちが枕元に集まり、なにやらごそごそと・・・・
芝居が始まる。
 蜘蛛の糸のお釈迦様
 杜子春の父
 鬼が島の鬼の親分 など小説の中の11人の登場人物たちが、龍之介の死の真相を解くために、もう一度龍之介とともに生きてみることになった。虚構と現実の世界が交差する。役者さんたちもベテランになり安定した演技で舞台は展開する。
『夜の空を翔ける』

東京演劇アンサンブル 9月14日14:00〜
西武新宿線武蔵関  ブレヒトの芝居小屋

 紹介する順番が逆になってしまったが、東京エトセトラの初日は、東京演劇アンサンブルのブレヒトの芝居小屋を訪問、折角東京で芝居を見るなら大きなホールでなく稽古場で見てみたいと思っていたので、実現できうれしかった。劇団の稽古場、自前の小劇場で見る芝居は当然ながら役者さんたちが実に生き生きとして、大きなホールでは見られない臨場感がある。昔昔、六本木の俳優座小劇場で見た芝居をいくつか思い出した。


東京演劇アンサンブルの公演ポスターより

 『夜の空を翔ける』は、広渡常敏作・演出によって1980年に初演された作品で、パン製造・販売・カフェを共同経営する7人の若者たちの現実と、サン=テグジュペリの小説と生涯が劇中で交錯していく。翌日見た「藪の中から龍之介」と芝居形式はよく似ている。芝居は、サン=テグジュペリの生き様、7人の若者の現実、そして若者たちが劇中で演じる芝居が絡み合い、現代社会に対する問いかけとなって、演じる側と演じられる側との空間に、時が複雑に入れ替わりながら、溶け込んでゆく・・・・




東京演劇アンサンブルの ブレヒトの芝居小屋


労働者という言葉が
死語になってしまった現代、
「新しい言葉・・・・・」 を求めて

「パンを作らなくては・・、それでもパンを造らなくては・・・・・・」
と、語りかける麦子さんの言葉が心に残る。

この芝居が上演された80年代あたりから
労働者という言葉の意味が
変化してきたのだろうか。
それは、僕たちの目に見え始めたのは
バブルが始まった頃からだったのだろうか
国鉄が民営化された頃か
経済中心の
使い捨ての時代が始まった。
喜んでもらうことより
儲かることが大切!

東京演劇アンサンブルの次世代を担う若手によるワークショップ

上手なプロデュース公演も良いけれど
久々にみずみずしい芝居を観た感じがした。
新劇の魅力とはこういうものなのだろうか。
最後に
東京演劇アンサンブルのWebから
稽古場の様子の写真を拝借



練習風景





ブレヒトの芝居小屋の入り口
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