英彦山(ひこさん) | ||
2015年09月13日 山と橋を渡る Masao's Photo Gallery |
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先週は橋の調査で九州にいました。 土曜日も働いて日曜日は のんびり温泉につかってきました。 そして 山登りはむりだから せめて英彦山神社にお参り 英彦山は福岡県の南 大分県との県境にある標高1199mの山 弥彦山(新潟県)・雪彦山(兵庫県)とともに日本三彦山 山の中腹500m近辺に英彦山神宮奉幣殿があり 山頂には上宮があるそうです。 小倉からJR日田彦山線・日田行 に乗って1時間28分 彦山駅に到着 降り立ったのは私と山ガール二人だけ 山ガールは駅前の食堂に入って行きました。 . 10:55 さてどうしたものか・・・ 駅前の観光マップをみると 英彦山神社まで車で15分 しゃくなげ荘まで歩いて1時間かかるそうだから 英彦山神宮まで 歩くとなると1.5倍として1時間半以上? こまったな? と 思案していたら町営バスがやって来ました。 運転手さんに聞くと神宮に行くには このバスで幸駅(銅の鳥居)で降りるとのこと そして親切に 銅の鳥居は(かねのとりい)と呼ぶと教えていただきました。 10分ほど待って発車 乗客は二人だけでした。 11:15 幸駅のスロープカー乗り場 スロープカーに乗れば神社まで15分 地図によると銅の鳥居から石段が続いています。 折角だから歩いてみる事にしました。 11:20 銅(かね)の鳥居 ゆるやかな石畳が続く これなら楽勝・楽勝・・・ 11:22 しばらくすると財蔵坊と書かれた案内柱がありました。 英彦山は修行の山でした。 英彦山は羽黒山(山形県)・熊野大峰山(奈良県)とともに 「日本三大修験山」に数えられ 山伏の修験道場として古くから武芸の鍛錬に力を入れ 最盛期には数千名の僧兵を擁し 大名に匹敵する兵力を保持していたという。 財蔵坊の中庭 中庭から除くと囲炉裏が・・・ おねーさんがいらして伺うと 以前は老ご夫婦が住んでおられたのだが 引き揚げられて 県のボランテアとして今は彼女が管理しているとのこと 祭壇があり かまどの部屋がありました。 そして、再度石畳の坂を登ると 11:30 増了坊(ぞうりょうぼう) 増了坊は英彦山の山伏になかでも 政所坊・亀石坊と共に 御三家と言われたほどの有力な先達の坊だそうです。 鍋島藩の宿坊でもあったと 書かれていました。 11:31 西の坊跡 11:32 義俊坊跡 11:33 勝琳坊 現在も昔からの檀家が来訪すると接待してくれるそうです。 11:33 表参道に到着 成円坊跡 今は小学校の運動場 11:38 中間駅の花駅に到着 11:36 松養坊 11:39 神宮下の鳥居をぬけて 11:39 参道から左に行けば雪舟庭園 11:41 顕楊坊 11:47 英彦山神宮 銅の鳥居からおよそ30分 たくさんの坊を見ることができ スロープカーに乗らなくて良かったと思いました。 ここから山頂の上宮までは1時間35分 今日はここまで・・・・ いつかゆっくり登って見たい山です。 ちよっとだけ下宮まで登ってみました。 かなりきつそうです スキー場もあるのです。 上宮まで2.2KM 再度諦めて温泉に 下ることにしました。 折角ですから「修験道館」に寄ってみます。 趣のある山道です。 12:12 修験道館 人形です・・・ 英彦山はこんな山です 模型もありました 十二神像 阿曇磁良像(あずみのいそら) 海の神 如来立像 昭和57年10月英彦山学術調査隊により 北岳山頂から出土されたそうです。 明治政府の廃仏毀釈から逃れるために埋められたのか? 銅造不動明王坐像 英彦山の仏たちは明治政府の廃仏毀釈により ほとんどの仏像が壊されたそうです。 明治政府はタリバンみたいに乱暴だったのですね。 残された仏像たちを見て 悲しい想いがしました。 権力の愚かさはいつの時代も同じなのかもしれません。 12:46 雪舟庭 少し荒れた感じでしたね・・・ そして山道を下り 銅の鳥居まで来ました。 13:01 銅の鳥居 佐賀藩主の鍋島さんが寄贈したそうです。 13:03 バス停に到着 ここから歩いてしゃくなげ温泉に・・・ 13:23 しゃくなげ荘 国道500号を歩いて20分程で到着 英彦山温泉 しゃくなげ荘 すてきな渓谷沿いにありました。 沢歩きしたら楽しいでしょうね。 温泉は宿のパンフレットから 露天もありました そしてお風呂の後は そして ヤマメの唐揚げ?? 奥の右がヤマメの唐揚げ そしてもう一度お風呂に 28.3度の冷泉ですが天然です。 そして再度 地鶏焼きと名酒 英彦山 16:00 帰りは町営バス 列車の出発まで河原で休憩 綺麗なアーチ橋がみえました。 久々の山と橋です。 九州の休日 楽しめました! |
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