マネとモダン・パリ 三菱一号館美術館(東京・丸の内)
    
2010年04月        
山と橋を渡る  
Masao's Photo Gallery




パリのオルセー美術館が改装中
東京・丸の内の三菱一号館が4月にオープン
タイミングよく
二つが重なって
マネーの作品を沢山・・・沢山
マネーさんだけでなく
同時代の画家達の作品や
絵画だけでもなく
当時のパリが近代都市として発展してゆく過程が
建築素描や彫刻・写真でみることが出来ました。
オペラ座やパリの建物の設計図もありました。





オランピア 1863年 オルセー美術館所蔵

ドキッとするような筆使い
ビーナスでもなくゴヤの裸のマヤでもなく・・・




草上の昼食 1863年 オルセー美術館所蔵


川辺で昼食をとる紳士と裸婦の姿が
当時大スキャンダルをまきおこしたそうです。
「オランピア」など
現実の裸婦を描くということは
不謹慎だとされていたそうです。
裸のマヤの方が古いのですけどね〜




ウルビーノのヴィーナス 1538年 
ティツィアーノ・ヴェチェリオ
この作品は展示外です
ビーナスは架空ですから





ラテュイユ親父の店 トゥルネ美術館所蔵
ちょっと開放的ですね
口どいているのでしょうかね〜




親友 エミール・ゾラ オルセー美術館所蔵

1863年の「落選者展」に展示された《草上の昼食》や
1865年のサロン出品作《オランピア》によってマネの名は
スキャンダラスな主題を扱う画家として広く世間に知られます。
他方
小説家ゾラは、新しい時代の芸術をリードする画家として
マネを強く擁護しました。

ゾラはドレフュス事件では
右翼的軍部の陰謀によりスパイ容疑にかけられた
ユダヤ系の参謀本部付砲兵大尉ドレフュスを弁護したり
パリ・コミュンに参加し捕らわれたクールベ達を擁護しています。

壁にかけられた絵も印象的です。





ドガのオペラ座の稽古場 オルセー美術館

1867年
ナポレオン3世が威信を賭けた第2回パリ万国博覧会場で
マネは集大成ともなる個展を開きました。
しかし反応は思わしくありません。

1868年
ベルト・モリゾと出会いモリゾはやがてマネの弟子になり
1874年には弟のウジェーヌと結婚しますが
その間
彼女をモデルに一連の魅力的な肖像画を制作しました。
と書かれていました・・・




すみれの花束をつけたベルト・モりゾ オルセー美術館

「なによりもまず黒、絶対的な黒」

遠くから見るのと近くから見るのとずい分違います
ベルト・モリゾを描いた作品が沢山ありました。



その間
1870年に勃発した
プロイセンとの普仏戦争
それに続くパリ・コミューン
マネも愛するパリの防衛のためにこの戦いに加わります。
若き詩人ランボーやクールベ
沢山の芸術家たちが駆けつけたコミュン
しかし
第3共和国臨時政府により鎮圧されてしまいます。
僅か72日間の市民の政府でしたけど
その間、女性参政権の実現
児童夜間労働の禁止
政教分離などの
革新的な政策が打ち出され
後の世に大きな影響を与えました。

こんな時代に生きたマネーだったのですね!






マネとモダン・パリ展の会場となった三菱一号館は
1894(明治27)年日本政府が招聘した
英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計されたそうです。
三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築

丸の内周辺は三菱一色で
明治という時代を生きた三菱の力を感じます。
このように美術館として一般に開放されることはいいことですね
中庭もとても綺麗で
館内はアンテーク
お洒落なレストランもあって
建物だけでも楽しめます。





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