法隆寺

2007年07月10日     
山と橋を渡る  Masao's Photo Gallery





 法隆寺を訪ねたのは久しぶり、20年近くにもなるのだろうか。その頃の記憶はほとんどない、それだけに新鮮だった。今回の歴史散歩は山の会の例会、本来は六甲山を中心としたハイキングが中心の集まりであるが、だんだんと無精になり、とにかく歩くことが一番と歴史散歩が加わった。鶴林寺に続く歴史散歩第2弾である。
 法隆寺はJR大和路線 法隆寺駅を降りて、北に向って歩く。しばらくすると南大門(写真左)が見えてくる。



 南大門をくぐり奥にある中門へ向かう参道脇の築垣(ついがき)や、桧皮葺の「土上(あげつち)門」・「唐門」は重文で、法隆寺の建物は壁にいたるまで文化財とは、妙なところで感心した。ほとんどの門は閉ざされていたが、寺務所に通じる門(上土間)があり、入ると丹精に手入れされた梅があった。


西院西南隅子院築垣





中門は少し不思議な門で、真ん中にも柱があり、5本の柱はエンタシス、仁王様はいつの時代に作られたかはわからないが、日本でもっとも古い仁王さんと聞く、力強い姿である。
 いつも仁王さんの足元でもがく天邪鬼を楽しみにしていたが、ここにはいない。 仁王像は一般的には狛犬もそうだが、阿形と吽形で1対になっており、口を開いているのが阿、口を閉じているのが吽で、言葉の発する始めと終わり、阿吽の呼吸もそこからきている。


吽形(うんぎょう)



阿形(あぎょう)




 中門を左手、三経院を通り北に向うと階段があり、西円堂(写真左)が見える。西円堂は八角形で薬師如来が安置されている。



 お堂をぐるりと回ると所々中を覗くことができ、中は薄暗いが毘沙門天が見える。
十二神将もあるとのこと、見ることができないのが残念。十二神将は個性的で表情豊かな仏様たちで楽しい。



 日本最古の五重の塔は何処から見ても美しい、新春に幸田露伴作「五重の塔」(前進座 嵐圭史主演)を見ただけに、この塔の素晴らしさを改めて思い出した。
 振り子作用の錘の役割をはたす心柱と各層の屋根が揺れを吸収できる柔構造は近大日本の建築技術がやっとたどり着いた免震構造でもある。
 千年以上も屋根を支え続けた邪鬼がかわいい。


南西の邪鬼



北西の邪鬼



北東の邪鬼



南東の邪鬼




 五重の塔のすぐ隣に建つ金堂は法隆寺の建物の中で最も古い建物といわれている。法隆寺の建物は中に入りことができないものがほとんどであるが、この金堂と大講堂は中に入ることができる。
 金堂の本尊は釈迦三尊像で左脇侍に薬王菩薩、右脇侍に薬上菩薩と 珍しい取り合わせである。一般的には釈迦の脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩が多い。

戦前の金堂の中を写した写真
古寺を巡る1(小学館ウィ−クリ−ブック)より
左が百済観音

 法隆寺のマドンナ百済観音は今は宝蔵院にあるが、かつては金堂の釈迦三尊像の後ろにあったとのこと(左写真)。八頭身の観音様は左手に酒瓶?を軽く持ち、ほろ酔い加減で今にも歩きそうで魅力的である。顔立ちは日本人でもなく百済人でもなく、何処となく西洋的である。元々は仏像ではないという説もあり、どこか仏らしくないところに惹かれるのかもしれない。





 夢殿は法隆寺東院の正殿で、聖徳太子の宮殿跡に僧行信が再建したものである。中には聖徳太子像と伝えられる救世観音が安置されている。
 夢八角堂は「建築の真珠」と呼ばれるだけに美しい。遠くから見るとなお美しい


遠くに夢殿が

夢殿のそばに建つ鐘楼


西円堂の十二神将 絵葉書より



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