志染川の沈下橋と御坂のサイフォン橋
    
2007年08月13日     
山と橋を渡る  Masao's Photo Gallery


 今年の夏も暑い、
今日は奥様の実家にいて、
特に用事もないので、
前々から気になっていた志染川の沈下橋を見に行くことにした。
川を遡れば涼しいだろうと考えてのことであったが、
志染川は歩けるような河床ではなかった。
左岸の畦道や右岸の県道を歩いたが、
とにかく暑かった。











三木市志染川に架かる沈下橋
志染大橋の下流 志染中学前

 沈下橋は生活に密着した合理的な橋である。
水面すれすれに架かっているため、
洪水時には水没してしまうが、
水に対する抵抗が少なく一般的には石やコンクリートでできていることから
重たく流されることは少ない。

構造的にはシンプルで
橋として最小限の機能しか持たないことから、
自然に溶け込みやすく、
眺めているだけで
のどかな気持を抱かせてくれる。




志染大橋からみた沈下橋


志染大橋から川沿いに農道を東に進み
右方向に折れると志染の石室がある。
案内板には、
古事記によると飛鳥時代の天皇さんが幼少時代、
政変の難をのがれ隠れていた石室と書かれていた。
 また、
石室の中の湧き水は天然記念物のひかり藻の作用により冬場、
黄金に輝くこともあることから、
窟屋の金水(くつやのきんすい)
とも呼ばれているとも。



志染の石室(窟屋の金水)


そして、橋を渡るとサイフォン橋が見えてくる。
橋の袂に三木市観光協会の看板があって、
こう書かれていた。
「イギリス陸軍将校パーマ氏が設計し明治24年に完成。
山から谷を通って向かいの山に水を運ぶこの疎水工事は
当時としては画期的な大事業で
サイホン橋(眼鏡橋)は昔の姿そのままに役割をはたしている。」

と100年以上経つのか。


 


再び志染川にもどり、
東に進むと志染川と山田川が合流する。この辺りが御坂である。
サイフォン橋の手前の橋からの眺めがよいとガイドブックに書かれていたので、
そこに行くと、
何と沈下橋が見える。
志染川は意外と谷が深いので、
こうした沈下橋は沢山あるのかも知れない。








サイフォン橋は2重になっており、
奥の方(上流側)が元々の石造りで、
手前(下流橋)はコンクリート製で後から造られたもの。
橋の上は歩道となっており、
古い方は通行禁止となっていた。





 左岸には案内板があって、淡河川・山田川疎水は琵琶湖疏水(京都)、安積(あさか)(福島)の3大疎水とされ、しかもこの疎水は国策ではなく当時の住民の私費で建設されたと書かれてあった。
 また、土木学会の史跡碑が置かれていた。
 水路橋を渡り左岸の農道を過ぎると、疎水の鋳鉄管が見えてくる。直径1m近くもあり、けっこう大きい。


 建設当時の鋳鉄管は何度か修復され、
現在も淡河川疎水として活用されているとのこと。
また現在でもサイホン橋の疎水が通っているのは
下流側のコンクリート橋の方で、
役目を終えた石造りのサイホン橋は閉じたままで、
当時のそのままの姿で残されているとのこと。

 淡河川疎水と山田川疎水は神戸市西区神出町で合流し
稲美町との境である練部屋分水所で
各支線に均等に水が分岐し送られる。
疎水の西端は加古川市稲美町にあるそうで、
今はもう役目を終えた水路橋平木橋が
90年以上経過したレンガ造りの
美しい橋として保存されているそうである。

参考文献
  近大土木遺産ウォーク 関西



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