長崎の橋
    
2010年09月05日     
山と橋を渡る  Masao's Photo Gallery


     

長崎 出島

むこうに見えるトラス橋は
出島橋

長崎空港には降りたことはありますし
佐世保にはちょくちょく
来たことがあるのですが
長崎は初めてす。
多分
これで全部の県庁所在市に
行ったことになるのかな〜



夕食後
市内をぶらぶら
出島って意外と狭いんですね。
4000坪(1万3千u)
ほぼ甲子園球場と同じ広さ


 


昔の出島の絵
 よかとかBY 九州より

「徳川時代にポルトガル人などを隔離する為に寛永13年(1636年)に築かれた扇形の人工島が出島です。
幕府は宗教と貿易を分離するために初めポルトガル人を入れ、島原の乱後は平戸にあったオランダ商館をここに移し寛永18年(1641)よりオランダのみに通商を許しました。それ以来、安政5年(1858)「安政の開国」まで218年もの間、出島は西洋に開かれた我が国唯一の窓口でした。」

                 よかとかBY 九州より
出島橋の鉄骨はアメリカから
輸入されて造られたもので
我国の現役の共用道路橋では
最も古い鉄製の橋だそうです。

形式:鋼トラス橋
橋長:36.7m
橋幅:5.5m
完成:明治23年(1890年)



           
出島橋



長崎港の手前 ランガー橋

この後港まで行って
女神大橋を見に行ったのですが
写真は上手く撮れません・・

翌朝
ちょっと早起きして・・・



女神大橋

支間割200m+480m+200m
H17. 12.11 開通

そして
長崎といえば石橋ですね



手前 袋橋 その向こうが眼鏡橋



護岸の石積みが見事です。



眼鏡橋
橋の長さは22m、幅3.65m、川面までの高さは5.46m



眼鏡橋を上流から眺めると



1634年(寛永11年)
中国から渡来した
興福寺の2代目住職
黙子如定(もくすにょじょう)が
架けたそうです。



昭和57年長崎大水害で流出

それでも
アーチ部分は残ったのですね。





この先
魚市橋(第9橋)
東新橋(第8橋)
芋原橋(第7橋)




一覧橋(第6橋)

初代の石橋は1657年架設
795年流出し1801年再架設
1982(昭和57)年の長崎大水害で流出
現在はコンクリートアーチ橋
名前の由来は
最初の架設者の高一覧にちなんで
明治15年に一覧橋と命名されたとか



古市橋(第5橋)



編笠橋(第4橋)



大井手橋(第3橋)



左は堂門川(西山川))と右の中島川(銭屋川)の合流点



桃渓橋

中島川の支流、堂門川(西山川)に架かる



高麗橋(第2橋)



阿弥陀橋(第1橋)


長崎は竜馬さんのポスターがあちらこちらに
ずい分人気があるのですね〜



上野撮影局跡 


個人的には明治のお偉い人たち
あまり好きでないのですけど
つい最近
ついに
仕方なく地デジが写るテレビを買いました。
周りが大きい画面がいいというので
亀山ブランド40インチ
ハイビジョンでみるシベリヤの火山や
オーケストラの奥行きの深さみ
感動しました。

でもチャンネルを切り替え途中
竜馬伝が!
いきなり暑苦しい顔のドアップと怒声

思わず切ってしまいました。
福山雅治は好きなんですけど・・・

そんなわけで
長崎市内を後にして




西海橋
  
橋長        :316.26m
最大支間     :216.0m 
完成 :1955年(昭和30年)
  
建設当時は世界第3位のアーチ橋



新西海大橋

橋長       :300.00m
最大支間     :240.0m
完成:2006年(平成18年)

西海大橋が老朽化したので
交通量を緩和させるために作られたそうですが
西海橋が無料で
新西海橋が有料なためか
交通量は少ないようでした。

アーチ橋は吊橋と反対の弧を描きます。
放物線ですけど綺麗ですね。
新西海橋の向こうに見えるは3本の電波塔
この塔は太平洋戦争のときに真珠湾攻撃開始の暗号
「ニイタカヤマノボレ」を発信したことで有名らしいです。



平戸大橋

橋長   :665.0m
最大支間:465.5m
完成  :1977年

AS工法でケーブルが架けられた
当時国内最大の吊橋です。

長崎の橋巡り
新旧素晴らしい橋が沢山あって
楽しめました!




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