東北一人旅 弘前〜十二湖〜秋田

2018年05月17日     
山と橋を渡る  Masao's Photo Gallery 



一人旅の魅力にハマってしまいました

仕事の帰り
津軽半島の先端三厩から十三湖に沿って南下した時
新緑の美しさに感動しました
いつか晴れた五月の日に
五能線に乗ってブナの森を訪れてみたいと思っていました


五能線は鰺ヶ沢までは行ったことがあります
吊橋と斜張橋とのあいのこ
斜張吊橋という面白い橋が在って
昔見学に行きました
こんな橋です


鰺ヶ沢人道橋
中央部の桁は主ケーブルで吊られていますが
端の方は斜めのケーブルで吊られています。
今回の旅は
飛行機で青森まで行き
陸奥鶴田で一泊し鶴の舞橋を見学して
十二湖のブナの森を探索し
東京で美女三人と合流して芝居をみる予定でしたが
急に東京で仕事が入り三日後に
東京から東北新幹線で青森までと
慌しい旅となりました
さらに
目的地のひとつである秋田は豪雨とか・・・
日頃の行いが吉とでるか凶となるか
運を天に任しての旅です


東京発の東北新幹線に乗り込みます
7:36発 はやぶさ・こまち3号 新青森・秋田行です
停車駅は上野・大宮・仙台・盛岡
終点の新青森着11:00 3時間24分の旅です
今年の3月に大宮から郡山まで乗りましたが
東北新幹線を始発駅から終着駅まで乗るのは初めてです
青森までは普通なら飛行に乗りますね
昔は上野発の夜行列車に乗りました
つい
石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」が浮かんできます
上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口(むくち)で
海鳴(うみな)りだけを きいている
私もひとり 連絡船に乗り
こごえそうな鴎(かもめ)見つめ
泣いていました
ああ 津軽海峡 冬景色


あの時も
青森の仕事が終わったら札幌に行くように
途中で連絡があり
仕方なく
確か深夜12時発の青函連絡船に乗り
函館でふるえながら札幌行きの始発列車を待ったこと
思い出しました


新幹線は便利ですが味気ないですね
東北新幹線トンネルだらけです

途中弘前によりお城を見学することにしました
弘前城は2度目です


弘前城には重要文化財の三の丸東門から入りました


東内門外橋(石橋)を渡り


これまた重要文化財の二の丸東門を渡り
赤い欄干の下乗橋を渡ると本丸です


弘前城本丸

弘前城の石垣が100年ぶりに修復中で
本丸の内側に移動していました


折角ですから天守に登ってみました
生憎の曇り空で岩木山は見えません


弘前城といえば桜
有名な樹齢100年を超すソメイヨシノは散っていました
弘前城の桜にちなんだ舞台
青森の劇作家畑澤聖悟さんの
『満天の桜』 
思い出しました

関ヶ原の合戦を制し
群雄割拠の戦国時代にようやく終止符をうった徳川家康。
家康は政略結婚を巧みに使い
地方大名を統治していきます。
北にシンパを求めた家康は
津軽藩二代目藩主
津軽信枚に養女・満天姫(中地美佐子)を嫁がせます。
一度は芸州
福島正則の養嗣子正之に嫁ぎ
一子直秀をもうけた満天姫ですが
正之は幽閉され獄死し
満天姫は幼い頃から付き従っていた
侍女頭・松島(奈良岡朋子)を伴い津軽に再嫁したのでした。

舞台は実にシンプルです
桜の花も咲いていなければ
桜の木すらありません。
なにも無い寒々とした舞台で
松島が桜の苗木を植えるシーンで始まり
桜の苗木を植えるシーンで終わります。


1882年年(明治15年)に植栽されたソメイヨシノ
青森県の天然記念物
松島が植えた桜はもうないのですね
でも
その意志は引き継がれていました


樹齢300年以上と推定される
根上がりの大イチョウが在りました
根上がりの松は神戸にもありますがイチョウは初めて


石垣修理中
奥に赤い下乗橋が見えます


明治30年にも城を移動させ修理したそうです
弘前城とお別れし
市役所前から駅までバスに乗ります
来しなは駅から歩いて来ました
バス停でバスを待っていたら
お姐さんが100円バスに乗るといい

教えていただきました
バスを待つ間おしゃべり
どこから来ましたかと聞かれたので
神戸からと答えると
「失意の旅」ですかと聞かれ
大笑い!
津軽はいいとこです


弘前からはリゾートしらかみ4号に乗ります
14:30発
しらかみ号は事前に予約が必要です


「しらかみ」独り占め


リンゴ畑を走ります


15:02 陸奥鶴田駅到着


陸奥鶴田駅は鶴の翼をイメージとのこと
宿からお迎えの車で津軽富士見荘に


津軽富士見荘から「鶴の舞橋」がばっちり

今回の旅の目的の一つは
「鶴の舞橋」
3年ほど前でしたか
hawksさんから送っていただいた鶴の舞橋の写真をみて
いつか訪れてみたいと思っていました
hawksさんの津軽単身赴任は終わりましたか?
私はやっとここに来ることができました


部屋からの眺めもばっちり
早速「鶴の舞橋」に


ロビーからの眺め
天気が良かったら橋のバックに岩木山が見えるそうです


鉄の橋ばかり関わっていましたが
木の橋は素敵ですね


渡ってみます


3連太鼓橋の湖中橋台はあずまや造りです


柏手を打つと反響して響き渡ります
この橋この湖には霊がいるのかもしれません
鶴の舞橋が架かる廻堰大溜池(まわりぜきおおためいけ)通称津軽富士見湖には、
昔話のように語り継がれている伝説があるそうです
鶴田町を統治する城主と町娘にまつわる悲恋物語です。
そしてあずまやの案内板には廻堰大溜池の沿革が記されていました
         
 廻堰大溜池の沿革
古記によると
このため池は岩木山を水源とする白狐沢からの
自然流水による貯水池であったものを
万治3年3月(西暦1660年)に四代藩主津軽信政公が
樋口権右衛門を廻堰大堤奉行に任命し
柏村地方の用水補給のための堤防を築き
用水池にしたものと記録されています
その後、豪雨、融雪と自然災害により
元禄、寛政、文政、明治、大正と堤防が決壊し
そのたびに大修理が加えられ関係者の苦難がそそがれてきました


書かれていました

廻堰大溜池
水深約7m、満水面積281.28ヘクタールの人造湖


中央径間


三角屋根のあずまや


太鼓橋を渡ります


昨夜の雨で増水したのかもしれません


対照的な樹形


渡り切りました


鶴の舞橋は樹齢150年以上の青森ヒバを用いた橋は長さ300メートルにおよび、
木造の三連太鼓橋では日本一の長さを誇ります。


対岸からみた鶴の舞橋


正面からみた鶴の舞橋


近年は鶴が飛来することはないそうです
鴨がいました


鶴の里ふるさと館(旧川村家)を覗いてみました


囲炉裏のある旧家


今晩の夕食
夕朝付で9900円
しかも送迎付きです


小百合さんもびっくり
ホテルのロビーにいらっしゃいました
晴れていたら岩木山も見えるのですね


鶴の舞橋

本日はここまでです
続きは
東北一人旅二日目


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