モスクワ芝居三昧の旅(V) 
    
  第3報(4日目)観劇は『どん底
    
2017年05月31日     
山と橋を渡る  Masao's Photo Gallery


モスクワ芝居三昧の旅
4日目になりました
今日はモスクワ芸術座創立者の一人
スタニスラフスキー家の博物館を見学
そして
昨年12月6日に亡くなったべリャコーヴィッチ氏のお墓詣りの後
べリャコーヴィッチ氏が立ち上げたユーゴザーパド劇場で
『どん底』を観劇します



11:50 スタニスラフスキー家の博物館



スタニスラフスキーは1863年(154年前)
芝居が大好きなロシアの大工場主の家に生まれ
1898年にダンチェンコ達とモスクワ芸術座を創立
チェーホフやゴーリーキーの芝居を上演
特にチェーホフの『かもめ』をモスクワ芸術座の旗揚げ公演として
大成功を収めたことは有名なお話です

その2年前に上演された『かもめ』の初演は
みるも無残な失敗に終わり
最初の失敗で手ひどい挫折を味わったチェーホフは
その上演に二の足を踏み
『かもめ』こそ新しい演劇だと主張するダンチェンコの熱意にほだされ
上演を許可したそうです
初演の失敗に懲りたチェーホフは初日を観なかったと
初日当夜の模様を
演出を手掛けたスタニスラフスキーは書いています
誰もが失敗だと思った。
お葬式のようなだんまりのなかで静かに幕が閉じた
役者達はすくみ上がって
身を寄せ合い
客席の反応に耳を澄ました
お葬式のような沈黙
舞台の袖から道具係が顔を突き出して
やはり聞き耳を立てている
沈黙
わっと泣き出す者がいた
クニッペルは必死に鳴咽をこらえていた
私たちはしずしずと舞台の袖に下がった
その時である
客席からどよめきと喝采が湧き起ったのだ

(スタニスラフスキー「芸術におけるチェーホフ)
岩波文庫「かもめ」浦雅春解説より



スタニスラフスキー家の博物館の玄関です



2階に上がると青い部屋
右手にサイン帳がありFrom Kobe ○○とサインしました



スタニスラフスキー家の中には劇場もありました
ここでも芝居が上演されたそうです
今の家も立派ですが
元々は大工場主ですから
生家は宮殿のような広い邸宅だったそうです
革命により没収されここに移ったのです。



書斎には京劇の人形(写真左下)や
歌舞伎の本もありました



スタニスラフスキーはリアリズム演劇の祖であり
紋切り型の芝居を否定していたと言われますが
スタニスラフスキーの弟子である
メイエルホリドはリアリズム演劇を離脱し
演劇的演劇を創造するために京劇や能・歌舞伎に注目していました
スタニスラフスキーは
「メイエルホリドをよろしく頼む、彼は私たちの劇場
いや演劇そのものおける唯一の後継者だ。」
と遺言しました
二人はとても信頼関係にあったのです
スタニスラフスキーが亡くなった後
後ろ盾を失ったメイエルホリドは
国家反逆罪とスパイ罪のでっち上げで銃殺されます
詳しくは6日目にメイエルホリドの家を訪ねます



スタニスラフスキーの書斎



居間



寝室



オリガ・クニッペルとアントン・チェーホフ



衣装小屋



衣装小屋の中



スタニスラフスキーとゴードン・クレイグ(1872-1966)
英国の俳優、演出家、舞台装置家、演劇論者
日本でも, 小山内薫らを通して
新劇運動に大きな影響を与えました

スタニスラフスキーの大邸宅(上写真)

この頃川上音二郎も
1901年6月のロンドン公演を皮切りに
パリ→ベルリン→ウィーン→ブタペスト→ワルシャワ
ロシア→イタリア→スペイン→ポルトガルで公演を行っています
また
1928(昭和3)年小山内薫の仲介により
ソ連政府から歌舞伎公演を依頼された左団次は、
一門を率いてモスクワ・サンクトペテルブルク(当時はレニングラード)で
初めての本格歌舞伎の海外公演を行い
スタニスラフスキーとモスクワ芸術座で会っています
書斎の本棚に歌舞伎の本があったのもうなずけます

市川左団次は明治座の改革を行い
黙阿弥や川上音二郎とも親しく
小山内薫とともに「自由劇場」を立ち上げました
年表1909年参照



新国立劇場にあった年表

自由劇場旗揚げの翌年
小山内薫は1910年『どん底』を有楽座で上演し
1913年の暮れにモスクワで『どん底』を2回観て
スタニスラフスキーの大邸宅に招待され
チェーホフやクニッペルにも会ったそうです



スタニスラフスキーのデスマスク

1938年8月7日75歳で亡くなりました

日本の新劇に大きな影響を与えたスタニスラフスキー
勿論ヨーロッパ演劇やアメリカにも
マーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマン
マリリンモンローなど米映画界の俳優たちも影響を受けたのです。

13:40
スタニスラフスキー家の博物館を後にして 



ユーゴザーパド劇場に 15:50

セルゲイ・ ベリャーコビッチ氏は昨年12月6日に亡くなりました
今回はベリャーコビッチ氏追悼ツアーでもあります
劇場に着くと
ユーゴザーパドの団員さん達の車に載せていただき
お墓参りをしました



ロシア正教では土葬が一般的だそうです

本日の芝居はゴーリキーの『どん底』



単管パイプで組み上がった2段ベッド
(写真はユーゴザーパドHPとパンフから)


ペーペル      クレーシチ        役者


                     アンナ?               ルカ              

日本で観たた『どん底』とはイメージが違います
役者達が朗々と謳いあげます
謳いあげると
拍手とともにブラボーコールが飛び交います
これがメイエルホリド演劇の継承者故ベリャーコビッチの舞台
フォメンコ工房とはまた一味も二味も違った芝居に
うならされました



終演後の舞台です

この後交流会



能面レプリカのお土産
ベリャコ-ビッチ氏の後継芸術監督のオルグ・レウーシン・ニコラエ氏



歌う女優陣
左端は『巨匠とマルガリータ』でマルガリータのカリーナさん
右端は『どん底』でアンナ役のタチアナさん



皆さん歌もうまい



男声コーラス
中央は『どん底』で宿の主人を演じたミヘイロービックさん
『巨匠とマルガリータ』では悪魔の一人を演じられます



記念写真 深夜の24:00



劇場を覗くと



明日の舞台の準備が出来ていました
『マクベス』
この後劇団の方々にホテルまで送っていただきました

『どん底』のYチューブです

https://youtu.be/WPGFMsZnM-k

明日は「シューキン演劇大学」の見学
ちょっとだけ自由行動もあって買い物もできそうです
そして
夜はロシア最古のマールイ劇場で『三人姉妹』です

前日は
モスクワ芝居三昧の旅U

それではおやすみなさい
Спокойной ночи.
スパコーィナイ ノーチ

翌日
モスクワ芝居三昧の旅W



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