『観劇記 ブレス オブ ライフ 〜女の肖像〜』

観劇記 あまご 
2014年11月1日 
西宮芸文中ホール
新国立劇場 
          作 :デビッド・ヘアー  
           演出:蓬莱竜太 
                   
 先日久しぶりにクロさんと電話で話したら、『新国立で観た「プレス オブ ライフ」がとてもよかった。』と、嬉しそうだった。実は、ワイフはすでにチケットを購入していて、私にも誘ったけど、連れない返事だったとか。これまでみた蓬莱竜太演出作品はしっくりこなかったから、そんな気になれなかったのかもしれない。ところが、作者が、イギリスのデビッド・ヘアーと知り、クロさんのお勧めもあって、急にみたくなったのです。デビッド・ヘアーは何年か前、燐光群が「パワー・オブ・イエス」というリーマンショックを契機とする金融恐慌を描いた芝居があり、経済音痴の私ですら、金融パワーの前にイエスと言わざるを得ない状況に圧倒されたことを思い出したのです。これほど現代を鋭く描く作家がいたとは、ちょくちょくロンドンに芝居を観に行っているコタさんは、「デビッド・ヘアーのチケットは、なかなか取れないよ、大人気の作家なんだから」と、そんな訳で、チケットを申しこんだら、ラッキーなことに残席2席、アンラッキーなことに最後尾の席でした。双眼鏡を抱えて、西宮芸文に、なんと、お隣はコタさんでした。



 さて、前置きが長くなりましたが、この芝居、前半は何のことだかさっぱりわかりません。セリフがよく聞き取りにくいのです。やはり新国立の400席の二人芝居を800席の最後尾で見るのは無理があったと、後悔したのです。遅れてきた人を案内する女性の靴音も気になり、前半はなかなか集中できません。
 ロンドンの南西約100kmのリゾート地・ワイ島にあるテラスハウス。舞台中央奥は広々とした窓、波の音と鳥の鳴き声、窓の外に見えるネオン塔のような建物は灯台なのか、窓の両脇は高い天井まで届く本箱、大きなデスク、積み重ねられた本・本・本、そこは、博物館の研究員であったマデリン(若村麻由美)の居室。この快適で知的な部屋を舞台に二人の女の一人の男をめぐる夜を徹した対話が始まるのでした。

 夕暮れ時のマデリンの部屋を訪れたコートの女フランシス(久世星佳)、流行作家であるフランシスは、かっての夫・マーテインと長年の不倫相手で会ったマデリンとの回想録を書くために訪れたのでした。当の夫は舞台には現われませんが、今は、若い彼女とシアトルで暮らしているようです。なんだか、いい加減な男に翻弄された二人の女、男の出会いがはっきりしない前半部分はそんなふうに感じられ、やや退屈気味な展開です。会話が聞き取りにくいので双眼鏡で二人を覗くと、非常に豊かな表情が見られます。その表情から言葉に尽くされない、相手と自分に対しての苛立ちが読み取れるような気持ちになりました。しかし、双眼鏡で見続けるのはしんどいですね。二人の女の微妙な会話劇をこの劇の最後尾で見るのは結構辛いものです。


パンフレットより
  疲れてソファーに寝てしまったフランシス、夜中にお腹がすいてカレーを食べるマデリン、緊迫した会話劇にも滑稽な場面があって、二人の達者な女優さんが醸し出す不思議な笑い、本来敵同士なのになんだか二人が魅かれて行くような展開に観客席も引き込まれて行くようです。夜明け近く、机の上に置かれた、若き頃のマデリンとマーテインのツーショットを発見、二人の写真をじっと見つめるフランシス、やがて、椅子に沈み込み観客席に背負向けるフランシス、窓から差し込む明るい光、とても印象的な場面でした。
 二人が最初に出会ったのは60年代の初め、カルフォルニヤのバークレー校で学ぶ学生、当時は公民権運動やベトナム反戦闘争が盛り上がり、学生運動の闘士として激しい生き方を貫こうとする若きマデリン、法律を学びどちらかといえば優しい生き方を望んでいたのかもしれないマーテイン、やがて二人はまるで映画「追憶」の二人の様に別れ、そしてロンドンでの再会、「追憶」ではそのまますれ違ってしまいのですが、何故か、再度愛し合ってしまう。二人の会話の中にだけ出てくる男の存在が微妙に曖昧で、不思議な想像力を駆り立てます。「デビッド・ヘアー」私たちと同世代の劇作家だそうです。社会的・経済的な今・現在・現代を舞台にして、男と女の、女と女の微妙な心の変化を重ね合すことのできるすぐれた作家だと思いました。

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