『冬の時代』 

観劇記 あまご 
2015年4月18日 
 
          作:木下順二
          演出:丹野郁弓
          紀伊国屋サザン

                   
ものがたり
 ここは売文社の執務室。編集会議に忍術の本の依頼、広告作成などあわただしい。尾行巡査の張り番も何のその、楽天家の渋六社長にショーやノギ、不敬漢、デブ、文学士ら社員一同、談論風発の態。飄風の恋愛事件もからみあい、やがては雑誌「新社会」の旗揚げ宣伝を奥方が朗読して・・・・
さてさて売文社も新しい段階を迎えることになるのでした。上演パンプレットより
 演出家の丹野郁弓さんがパンフレットの「雑記」に書かれていたことが心に残っているので忘れないように書き留めておきます。
 「長い明治と昭和に挟まれた大正時代はたった15年間しかない。その短い期間は、しかし激動に満ち、起きた出来事も実に多彩である。第一次世界大戦もロシア革命も関東大震災もみんなこの時代だ。デモクラシーもロマンもその頭に大正という文字をのっけるだけで個性的な響きを放つ。何より新劇が生まれたのもこの頃だった。そういう時代に青春を生きた人々には昔から興味があった。そこでついこの『冬の時代』に手を出してしまったわけである、本当に、つい」

 時代背景がわからないと登場人物たちが言っていることがわからないかもしれません。幕開けは日本の社会主義運動史に実在の登場人物たちが、ニックネームで、この芝居の背景について語り始めます。明治43年、天皇暗殺計画を企てたとして、数百人の社会主義者の検挙が始まり、幸徳秋水や菅野スガら12名が処刑された「大逆事件」が起こりました。それなのに、ここに登場する者達が何故ここにいるのか、それは大逆事件の2年前に彼らは「赤旗事件」で、すでに投獄されており連座を免れていたからでした。そして、二つ目の疑問、ニックネームの由来について。例えば、飄風(和田啓作)は渋六旦那(千葉茂則)が近代思想創刊号に掲載された愚かなるものよ(詩) / 飄風 を大杉と勘違いしたことからそのあだ名がついたと・・・

飄風 (朗読する) 「愚かなる!
    太陽を捕え、朝の日光を
    縄をもっていましめんとする」―
    いいなあ!

    「走る流れにさからわんとする。
    四季をはばみて、降る雨をとどめんとする」―
     
    「空気と闘う心なさよ!
    ありとある力をついに無にせんとする。
    かかるにひとしく、かかる業よりさらに愚かなる」―
    痛快だろう?

     「さなり、人の口をふさがんこと、
     吹く風を捕うるよりも難きものを!
     愚かなるものよ!」
 
 高らかに謳いあげる飄風が若々しく、冬の時代に止めを刺そうとする青年の心意気が感じられます。飄風・本名は大杉栄、当時24歳。後の関東大震災直後のどさくさに紛れ、超法規的に憲兵大尉甘粕正彦によってエンマ(飯野遠)こと伊藤野枝とともに殺害された大杉栄 38歳没
 この芝居に出てくる登場人物達の考え方は皆同じではありません、左に無政府主義者の飄風〈大杉栄〉、右に国家社会主義のノギ(吉岡扶敏)こと〈高畠素之〉、そして真ん中に議会主義の渋六こと〈堺利彦〉。ショ―(塩田泰久)こと〈荒畑寒村〉や二銭玉(武藤兼治)こと〈山川均〉達は堺利彦の考え方に近いようです。渋六は弾圧が厳しくなる、まさに冬の時代に、夢みる青年たちが食べてゆくために「売文社」という代筆業を立ち上げます。議論しながらも和やかに若者たちを包み込んで行こうとする渋六千葉さんと奥方を演じた日色さんの存在が、とても明るく暖かさを感じました。
 劇中でノギが語る大逆事件の恐ろしさ、「― あの時僕たちが家族ぐるみでさらされた不安と恐怖と絶望感。― あの体験は恐らく日本人にとって史上始めての ― 昔のキリシタンの迫害は知らんよ。それを別とすれば―ある程度の一定の思想を持った日本人が共通に体験した史上最も残忍な、そして強烈なしかもみじめな恐怖だった思うんだ」

 ショーは語ります、大逆事件の黒幕は元老山縣有朋なり、山縣有朋の腰巾着:陸軍大将桂太郎の第二次内閣にて大逆事件大弾圧の一切の準備は完了させられたと・・・。山縣は吉田松陰から大きな影響を受けたと終生語り、生涯「松陰先生門下生」と称し続けたそうですが、足軽の低い身分故に廊下で立ち聞きしかできなかった伊藤博文の逸話もあり、足軽以下の中間の身分であった山縣が松陰から直接学ぶことが出来たとは思えません。しかも入塾した数か月後に松陰は斬首刑にされているのですから在塾期間は極めて短かった、そういうことからすれば、針小棒大な人物と思われます。それはともかく、師匠松陰は安政の大獄で斬首刑にされたのですから、幸徳らが殺害された大逆事件の首謀者であったとすれば松陰の殺害から何を学んだのか・・・ともかく、戦争へ戦争へ、弾圧から弾圧へと突き進んでいった長州の志士たちなのでしょう。そういえば安部首相が参拝したがる靖国神社は幕末に亡くなった長州藩の志士たちを弔った招魂社が起源だそうです。

 この芝居、とても難しい芝居でした。芝居がはねた後、楽屋を訪ねると、丹野さんがいらして、「難しい芝居だったでしょう、初演の(1964年)の時でも観ている人には難しかったと思う・・・戯曲を読んで読めない漢字だらけだったから、言葉の意味も理解しづらかったでしょうね」といわれて、少し安心しました。神戸に帰ってから、戯曲を読み直して、改めてこの芝居の奥の深さ、セリフの素晴らしさに感動しました。渋六が最後の場面で奥方に語る、長い台詞の最後の言葉、書き留めて置くことにします。

 ― 間違いないことは、とにかく人間自然の感情を圧し殺す社会制度は必ず改革しなきゃならんということさ。― いま生きている人たちのためにも、死んでしまった人たちのためにも。 ― そのために闘って行かなきゃならんということさ。それでやがてわれわれが死んだら、また若いものがやってくれる。われわれと同じような体験をくり返しながら、しかしわれわれよりも少しずつは利口になりながらね。  ― さあ、行きましょう。
二人、去る 
 やがて、文学士が赤旗をかついで社長室から現れ、外へ去る。
      ― 幕
今はどんな時代なのなのだろう。
作者の問いかけがあるように思います。
あの時代は、冬の時代の後ももっと過酷な冬の時代であった。
戦争が終わり
もう二度と戦争はしないと誓ってから70年
春も来たし夏も来た
秋もあったし冬もあった
それは日本の美しい四季のような平和の70年だった。
しかし
この芝居をみて
今はどんな時代だろうかと問われば
なんだか冬の時代が迫ってきているように思う。
冬は四季の移り変わりだけにしておいて欲しいと・・・
願わずにはいられない。

(    )は初演
渋六:堺利彦 千葉茂則(滝沢修)
奥方:堺夫人 日色ともゑ(小夜福子)
飄風:大杉栄 和田啓作(鈴木瑞穂)
ショー:荒畑寒村 塩田泰久(芦田伸介)
ノギ:高畠素之 吉岡扶敏(大滝秀治)
不敬漢:橋浦時雄 平松敬綱(山内明)
デブ:白柳秀湖 山本哲也(松下達夫)
エンマ:伊藤野枝 飯野透(堀井永子)
二銭玉:山川均 武藤兼冶(水谷貞雄)
テの字コの字:寺本みち子 新澤泉(坂口美奈子)
おばあさん 箕浦康子(北林谷栄)
文学士 天津民生(梅野泰靖)
キリスト 齋藤恵太(日野道夫、波多野憲)
奉公会 伊藤聡(草薙幸二郎、島田敬一)
小僧 平野尚(桝谷一政)
角袖 土井保宣(草薙幸二郎、島田敬一)
写真はパンフレットより
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