『観劇記 フル・サークル ベルリン1945』 

観劇記 あまご 
2015年5月19日 
紀伊国屋ホール 
          作:エーリヒ・マリヤ・レマルク 潤色:ピーター・ストーン
          訳・演出:勝田安彦 

                   


 「西部戦線異状なし」の作者として有名なレマルクの「フル・サークル」。昨年のある日のある晩、小山力也夫妻たちと食事したとき、力也さんから「フル・サークル」に出演するとのお話を聞いて楽しみにしていた芝居、神戸演劇鑑賞会の皆さんと、日は違いましたが見て来ました。
 台本はテアトロ5月号に掲載されていましたが、初めての芝居、いつものように予備知識なしで楽しむことにしました。ポスターにはナチの将校らしき人物が載っていましたので、レジスタンスの芝居だな?この程度の予備知識しかなかったのです。芝居には素晴らしい台詞がたくさんあり、はじめて聞く言葉の新鮮な響きを感じながら、芝居の意外な展開に驚きながら、舞台に引き込まれて行く、あるいは混乱して行く自分を楽しんでいます。
 ただし、芝居を観る前の余分な知識はない方がいいと言ったのは、それは芝居の筋立てのことであって、過去の歴史や私たちが今置かれている状況、世の中の動きがどうなっているのかを知っていれば、芝居の捉え方は随分違ったものになると思います。それは、芝居を観た後でも構わないと思います。そうでなければ、芝居は舞台からの一方通行になってしまうかもしれません。
 「フル・サークル」の日本での初演は、1994年12月、阪神大震災の直前、今から20年ほど前です。その頃の私は働くことで背一杯でした。あの頃、世界で日本で何が起きていたのだろうか、ちょっと調べてみました。

   1989年 平成元年 4月消費税3%開始 11月ベルリンの壁崩壊 
   1990年 10月ドイツ再統一
   1991年 バブル崩壊―失われた10年の始まり 1月湾岸戦争 12月ソ連崩壊
   1992年 9月自衛隊カンボジアPKO派遣
   1993年 8月細川内閣誕生(38年ぶりの非自民党内閣)
   1994年 4月羽田内閣(新生党)6月村山内閣
   1995年 1月阪神・淡路大震災

 ソ連が崩壊し
日本では自民党政権が崩壊し
バブルが崩壊し
日本の経済的発展は停止したけれど
世界も日本も良い方向に動いて行くのでは
そんな期待もあった時代だったように思います。
しかし
そうはならなかった。
この芝居の初演は俳優座の実験室LABO公演として
今回の演出にあたった勝田さんが演出し
力也さんや島さんも参加されたそうです。
すごい読みです。

 ここで簡単なあらすじです。

 第二次世界大戦、1945年4月30日
ソ連の猛攻によって崩壊寸前の
ナチス第三帝国の首都ベルリンにある
オットー・ビィルケのアパートに一人の男が逃げ込んでくる。
しかし
オットー・ビィルケはいなかった
42人の逃亡者を匿い逃がした後
密告によって捕まり殺されたのだ。
このアパートの一室を舞台に芝居は始まり終わる フル・サークル

 舞台が開くと
そこは暗いアパートの一室、外からすざましい爆撃音が聞こえる。
やがて爆撃がやみ
ラジオから空襲警報解除のアナウンスが流れる。
電話の音
薄暗い部屋の隅にベッドがあり
横たわっていた一人の女が起き上がりマッチを擦る
アンナ(斉藤深雪)の顔が浮かび上がる
たばこの煙・・・

 こうして、芝居は始まった。
アンナはオットー・ビィルケの妻
この部屋に
この物語のもう一人の主人公エーリヒ・ローデ(小山力也)が
助けを求めて飛び込んでくる。



ローデは元ゴースト・ライター作家、7年間ナチの強制収容所に入れられ
銃殺の命令が下って
ユダヤ人のヨーゼフ・カッツ博士(中寛三)ともに逃亡したのだ。
そして
アンナの部屋にゲシュタポの隊長シュミット大佐(島英臣)が
脱走した囚人を捕えるために部下を引き連れて現れる。
カッツ博士は囚人服の姿でゲシュタポに捕まっていた。
カッツ博士はローデを裏切らない
ソ連軍は総統の地下壕より300mまで接近したと
ラジヲのニュースを聞きながら
黙したままアンナの部屋の3階の窓から飛び降りて死んでしまった。
ローデはアンナによって匿われ、ゲシュタポの追及を何とか交わす。
再度ラジオからヒットラーが死んだと!



 この芝居の初演から大震災から20年経ちました。その間、なにが、私たちの周りに起きていたのか、ローデのこの台詞はとても重くのしかかります。

ああ――1938年にはね!でも何故それまでグズグズしてたんだ?6年間。俺はただ黙ってみてた、他の皆と同じように。確かに忙しかった。

そう、俺にも罪がある――手遅れになるまで待っていた罪、奴らが力を蓄えるのを黙って許してしまった罪。・・・俺たちが見て見ぬ振りをしたからだ

 レマルクがこの芝居を書き上げたのは1956年、終戦から11年、今から60年程前、「戦後のドイツ国民が第三帝国の過去と向かい合うことを避け、再度ファシズムが台頭して来かねない状況だった。都合の悪い過去には目をつむり、健忘症を決め込めば歴史は繰り返す。その危機意識がレマルクの後半生の作品群を貫いている。」と訳・演出を手掛けた勝田安彦はパンプレットの中で書いている。まさに、その状況が今の日本そのものだと感じます。

 なぜ、私はそのことに気づかなかったのだろうか。戦後の日本における、労働運動や社会運動の影響もあったと思います。ヨーロッパの作家たちは、レマルクと同じように、そのことに対する危機を感じています。1960年代の後半、アーノルド・ウエスカーはスペイン市民戦争における反ファシスト連合内部の矛盾について芝居を書いています(大麦入りのチキンスープ)。しかし、日本のジャーナリストや政党や労働組合は無視し続けました。知らなかったのかもしれませんが、そのことに対する組織の責任は大きいと思います。個々人としてはどうだったのか。戦後70年平和を守ってきたことは素晴らしいことですが、その隙間に忍び込もうとしている大きな力に、ローデが語ったように「俺たちが見て見ぬ振りをしたから」、そんなことはなかつたのでしょうか。
 芝居にもどります。
ソ連軍が進攻し
ナチス・ヒットラーの第三帝国亜は崩壊しました。
ゲシュタボの隊長シュミット大尉は新しい名前の書類を手に入れて逃れようとします。
しかも
新しい名前は『ヨーゼフ・カッツ』
7年間ナチの強制収容所に入れられ、
ローデと一緒に逃亡し
シュミットに殺されたユダヤ人のカッツ博士にすり替わろうとしたのでした。
日本の戦後においても
シュミットのような人たちが
特に力を持った人たちの中がたくさんいたのでしょう。きっと・・・
 ジャーナリストであったローデは
ソ連軍の将校から新生ドイツの再建のために教育の手伝いをしないかと誘われます。
しかしそれは
洗脳であり、独裁には反対だ! 
あんたたちのやり方は信じない。
信じるものは自由!
と叫びます。
ソ連将校もなかなか知的です。
自由か・・ 我々には縁のない言葉だ
まだ、未来の言葉だよ。
いつの日か自由も
だが今は、勤労、犠牲、献身。

と返します。
そして「時代の流れに乗るんだと!」と叫びます。
 ローデ 
いやだ!この前はそうした!
流れに乗ったばかばかりに手遅れだ!
もう二度とごめんだ!

 そして
ソ連の教育施設につれて行かれるのです。
愛し始めたアンナを残して・・・
主義は主義よ――でもそのために死んじゃ駄目!
引き留めるアンナを残して・・・

「フル・サークル」神戸演劇鑑賞会の候補作品に挙がっていました。
良い芝居は何度見ても良い芝居
もう一度見てみたい作品です。
写真はパンフレットより

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