『観劇記 海の夫人 』 

観劇記 あまご 
2015年6月6日 
西宮芸文 
          作:ヘンリック・イプセン
          演出: 新国立 宮田慶子

                   
 イプセンの作品にはじめて触れたのは、19歳の学生の頃、俳優座の「人形の家」でした。記憶はおぼろに、当時イプセンのペールギュントが大好きな音楽の先生がいて、音楽室でよく聞いていました。先生はペールギュントを「冒険と色物語」と呼んでいましたね。ノルウェーを代表する劇作家イプセンと音楽家グリークの音楽劇、いつか、本場ノルウェー国立劇場で観たいと思っていますが未だ夢は実現していません。10代に出会ったものは淡く忘れられないものがたくさんあります。
 イプセンの主な戯曲は10本ほどあって、芝居として観たのは今回の「海の夫人」で6本目、「民衆の敵」はステーブ・マックイーンの主演・製作の映画で観ました。「野鴨」はとても有名な作品ですが本で読んだだけ、残るは「ロスメルホルム」と「小さなエヨルフ」、「小さなエヨルフ」は無名塾が上演予定、19年の神戸演劇鑑賞会の候補作品に挙がっていました。是非見てみたいです。

人形の家(Et dukkehjem, 1879
幽霊(Gengangere, 1881年)
民衆の敵(En Folkefiende, 1882年)
野鴨(Vildanden, 1884年)
ロスメルスホルム(Rosmersholm, 1886年)
海の夫人(Fruen fra havet, 1888年)
ヘッダ・ガーブレル(Hedda Gabler, 1890年)
棟梁ソルネス(Bygmester Solness, 1892年)
小さなエヨルフ(Lille Eyolf, 1894年)
ジヨーン・ガブリエル・ボルクマン(John Gabriel Borkman, 1896年)

 イプセンの芝居は家族のこと、男が愛する女のことが多く描かれています。それも、女姓の立場から描かれていて、人形の家の男たちやジヨーン・ガブなど身勝手な男が多く登場し、身につまされることが多いです。しかし、「海の夫人」は一味違っていました。あらすじを公演パンプレットから転載します。



 ものがたり
灯台守の娘エリーダ(麻実レイ)は、医師ヴァンゲル(村田雄浩)と結婚し、先妻の二人の娘ボレッテ(太田緑ロランス)とヒルデ(山崎薫)とともに穏やかに暮らしていた。エリーダには、かつて結婚の約束を交わしていた船乗りの恋人(眞島秀和)がいた。恋人との関係が途絶え、生活が保証されたヴァンゲルの後妻となり愛される日々を過ごしていたが、生まれたばかりの息子を亡くし、ここ数年は精神が不安定で空虚な生活を過ごしている。毎日泳いでばかりいるエリーダを近所の人々は、「海の夫人」と呼んでいた。
 そんな中、突然かつての恋人が現われ、一緒にここを出て行こうと言われるエリーダ、自分の意志で結婚したわけではなく、ずっと自由へのあこがれを胸に秘めていたエリーダは、海と同じ引力を持つその男の登場で心揺れるが・・・・。



 こうなると結論は書かないほうがいいですね。強い女でもなく、だからといって弱い女でもなく、束縛されない自由を求めて・・・別の芝居の「ヘッダーカブラー」のヘッダーはピストル自殺をすることによって己の自由を守ろうとします。エリーダこれからどう生きるのか、問いは投げかけられたまま芝居は終わります。最後の場面で今の夫と昔の恋人との間に揺れるエリーダ、とても緊張しました。観客としての私は、ただ見守るだけです。

 
 舞台装置はすっきりしていて、北欧の夏の風景でしょうか、明るい海の感じが良く出ていました。麻実さんは「炎のアンサンディ―」いらいです。海の夫人の自由で虚ろな微妙な演技が光っていました。村田さんは喜劇ポイ役が多かったのですが、「長い墓標の列」で東大経済学部の河合栄治朗の役、今回も知的な医師の役、演技の幅が広いのですね。舞台で存在感ある脇役パレステッドの横堀悦男(青年座)さんは来年神戸の例会「横濱短編ホテル」でお会いできます。山崎薫さんのまだ大人になっていないヒルデの役、とても愛らしく感じました。男にはイプセンの芝居は辛いのですが、いつまでたっても理想の女を求めるイプセンにはどこか共感するところがあります。イプセンの心は若い青年のまま、そんな感じがしました。

写真はパンフレットより

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