『観劇記 壊れた風景』 

観劇記 あまご 
2015年7月30日 
 
          作:別役実・演出:眞鍋卓嗣 下北沢小劇場B1 

                   


 別役実:作『壊れた風景』です。最後はぞっ〜とするような場面でした。でもその原因がよくわからず、本当はどうだったの?と、別役作品に詳しいOさんに尋ねると、「分からなくてもいいのじゃない・・・」と答えが帰って来ました。不条理劇とはそんなものかな?と思いつつ、その曖昧さが面白いのかな?と

 登場人物も男1.2.3とか女1.2とか名前のない登場人物が「でも、あれですよ」「だけど、あれよ」「でも、あれじゃないか、別にどうってことないんだから・・・」と曖昧な会話が続き、これから起こるかもしれない、現われるかもしれない待ち人に妙に期待感が高まります。この微妙なずれと期待感があれこれと想像できるのが不条理劇の面白さなんでしょうか。

 チラシには「食べ物からパラソルに蓄音機まで用意された素敵なピクニックの場に通りかかった他人同士。不在の主に遠慮していたはずが、ついひとつまみから大宴会へ。無責任な集団心理を衝いて笑いを誘う傑作」と書かれていました。
 舞台の中央に派手なピーチ・パラソルが1本立っている。その下にゴザが敷いてあって、食物やら飲物やらが並んでいる。かたわらの台の上に蓄音機がのっている。つまり、ここは、何者かがハイキングにやってきて設営した場所なのである。もちろん、今は誰もいない。ただ、蓄音機だけが何やら優雅なメロディを奏ででいる。
女1が、大きな荷物を積んだ自転車をひいて現れる。その後に、パラソルをさした女1の母親がついている。 上演台本より


 ちょっとだけなら許さる?ごめんなさいね・・・といいながら、あれやこれや・・・主が現われたら、皆で責任取りましょうね・・・、なんだか今の政治手法と同じような無責任な手口、ドキッとくるものがありました。

 不条理劇とは?まだよくわかりませんが、2年ほど前にみた深津篤史による「象」は舞台一面に広げられた古着の中で1本のロープを引き合う、それが何を意味しているのか、ドキドキしながら見ていました。言葉と言葉の間にあるもの、動きと動きの間にあるもの、その空間を想像することによって、芝居を見終った者同士の会話が弾んでゆく、抜け出してゆく力が起きる・・・そんな漠然とした思いがします。

 



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