『国語元年』 

観劇記 あまご 
2015年9月27日 
 
          作井上ひさし 演出:栗山民也 
                   
 今年に入って井上作品は「父と暮せば」に続いて2作目です。
「父と暮せば」は広島弁
広島弁は、関西弁・名古屋弁と同様アクセントがきついけれど
それなりに分かります。
しかし会津弁や鹿児島弁は殆ど分かりません。



   時は明治7年
東京都麹町善国寺谷
文部省官吏南郷清之輔の屋敷が舞台。
そこに集まる人々は日本の言葉の縮図。
一家の主清之輔は長州の生まれ
妻と舅は薩摩の生まれ
3人の女中がいて、
女中頭の加津は元は旗本の奥方様で山の手言葉
南郷家に来るまでは
吉原で飯炊き婆をしていた高橋たねは江戸下町のべらんべえ言葉
寺の娘だった大竹ふみは米沢弁。
そして
ピアノ教師の江本太吉はアメリカ帰りで日本語は片言しか話せない
車夫の弥平は南部遠野弁
書生の広沢は名古屋弁と
言葉のごった煮のような南部邸です。
江戸から明治に変わり
薩長の田舎育ちの下級武士たちが権力の座につき
賊軍と呼ばれた士族や旗本を配下に置き
地方の貧しい娘や青年を雇い
天皇さんを始め京の公家たちも連れて来られて
言葉どころか心も通じなかつたのが明治の初めだったのかもしれません。

舞台に灯りが入ると、清之輔家中の者達の合唱が始まります。
清之輔作による文部唱歌「案山子」



第一幕第一場
各地の言葉が入り乱れる南部家
それだけでもややこしいのに
元お女郎の大阪河内弁の御田ちよが怒鳴り込んできました。

そして
京都のお公家さん裏辻芝亭公民も現れて
国学の押しかけ先生として居候するのでした。



そこに強盗として登場したのが
元会津藩士の若林虎三郎
かくして全国のなまりが出揃ったのです。




若林虎三郎(会津弁)
築舘弥平(南部遠野弁)
御田ちよ(大阪河内弁)
大竹ふみ(羽州米沢弁)
江本太吉(英語)
高橋たね(江戸下町方言)
秋山加津(江戸山の手言葉)
前列左から
南郷光(鹿児島弁)
南郷清之輔(長州弁)
南郷重左衛門(鹿児島弁)
裏辻芝亭公民(京言葉)

山本龍二
佐藤誓
竹内都子
森川由樹
後藤浩明
田根楽子
那須佐代子

浅海ひかる
八嶋智人
久保酎吉
たかお鷹

とても楽しい芝居でしたが
終幕はとても悲しかったですね。

その後
明治中期から昭和前期にかけて
主に東京山の手言葉を基に
標準語を整備しようとする試みがあったそうですが
戦後は国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたり
各地の方言を見直す動きもあって
その中で「共通語」という用語が登場し
NHKなど一部では「標準語」が「共通語」に置き換えられるようになったそうです。

神戸に住んでいると
関西弁にもいろいろあって
皆さん臆することなく自由な話言葉です。
全国的にはメデアの発達でそれなりの共通語も話せて
不自由することはなくなりました。

言葉の重みということ感じます



最近思うこと
安保国会での首相や閣僚の答弁
沖縄辺野古埋め立てに関する官房長官の言葉
淡々として人のことばとは思えない空虚さ。
若い政治家たちの稚拙な言葉
大阪の知事や市長の論理性の欠如した無責任な発言
言葉についての悔しさです。
 おととし亡くなった天野祐吉さんが
「成長から成熟へーさよなら経済大国」の中で福島での東京電力の対応
池澤夏樹さんの
「よくもまああれほどぬけぬけと
嘘をつき・白を切り・ごまかし・隠し払うべき額を値切れるもんだ


あきれはて
とても人間のやることとは思えません。
「あれは人間じゃないんですね。人間だと思うからいけない。”法人”なんです。」

書かれてました。
 権力を操る政治家や官僚たちはどうなんでしょう。
芝居の主人公は明治政府の下級官僚ですが
誠実です。
誠実なあまり最後は気がくるってしまいます。
彼の上司である文部省の田中不二麿閣下は舞台には登場しませんが
ずいぶんと無責任でいい加減な人物です。
権力の上に近ずくほど人間性を失っていくと
失脚した経済人の奥さんが言ってたそうです。
 芝居を見終ってしばらく時が経ちましたが
魂の無い言葉は
軍隊の命令と同じように思う今日この頃です。
写真は公演パンフレットよr

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