『蟹工船 観劇記』

観劇記 あまご 
神戸演劇鑑賞会 10月例会
東京芸術座          
          原作:小林多喜二   
          脚色:大垣肇 
           演出:印南貞人 川池丈司(客員)          

         
 

 「おい地獄さえぐんだで!」で始まる、小林多喜二の「蟹工船」、数年前に若者が買い求め、書店のコーナーにたくさん並んだことがありました。ブラック企業が話題になり始めた頃だったのかもしれません。今年の11月4日厚生労働省が発表した、「就業形態の多様化に関する総合実態調査」ではついに、「賃金労働者の4割が非正規になった」と発表されました。若者だけでなく、ありとあらゆる人たちが追い詰められているようです。中間層が狙い撃ちされ、少数の豊かなる人たちと大多数の貧しき人々への二極化がどんどん進行しています。今ではこの芝居をみることも、本を買うことすら余裕のない人達がいることを・・・

 どうすれば、いいのか?コラムニストの天野祐吉さんの著書「成長から成熟にーさよなら経済大国」とタイトルが示すように、私たちが進む方向を今一度考え直してみる必要があるそうです。明治から始まった西欧流のいわゆる近代化政策によって産業は発達し、これまでのんびりと働いていた人々は、猛烈に働く、働かされるようになりました。「人口減少社会という希望」広井良典さんが、渡辺京二さんの「逝きし世の面影」中で、江戸時代の末期から明治の初めにかけて日本を訪れた外国人が、口をそろえて”日本ほど幸福に見える国民はない“と紹介されています。例えばアメリカの初代総領事ハリスは「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ富者も貧者もない―これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、はたしてこの人々の普遍的な幸福を増進する処以であるかどうか、疑わしくなる」と。またイギリスの詩人エドウィン・アーノルドは日本の街の様子について、「これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。喋り笑いながらかれらは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、『おはよう』、『おはようございます』とか、『さようなら、さようなら』というきれいな挨拶が空気をみたす。そして工部大学校の教師を務めたイギリス人ディクソンは「西洋の都会の群衆によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆からきゃっきゃと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている」
 この時代に比べ現在の日本の幸福度は随分低い位置にあるという。ミシガン大学の世界価値観調査では43位、イギリスのレスター大学の世界幸福地図では90位とか、「蟹工船」の時代はもっとひどかったのでは・・・
 芝居に帰ります。あらすじは

昭和のはじめのころ――食いつめて“自分を売る”より仕方がなくなった男たちが、函館の港に集まってきた。博光丸はボロ船で、カムサッカの荒海でメリメリと音をたてて鳴っている。漁夫、雑夫たちは重労働と粗悪な飯で身体を悪くした。何人もの漁夫がこの北の海で死んだ。「このままでは殺される」…大時化の時も出漁の命令が下される。彼らはおっかなびっくりサボが始まった。そして遂に、自分たちの力でストライキを起こし、“要求”を突き出した。しかし、待っていたのは味方と思っていた帝国海軍による弾圧と逮捕であった。だが、会社と軍隊の正体を知った彼らは「ん、もう一回だ!」
 彼らは立ち上がった――もう一度。(公演パンフレットより)


 私は、この芝居を20歳の頃に見ました。ストーリーは殆ど覚えていませんが、最初のストライキの時、自分たちの味方だと信じていた帝国海軍が銃を向け、指導者たちを連れ去っていたあと、船底から最初は小さな声で、だんだんと大きく、湧き上がったソーラン節に震えるような感動を覚えたことを記憶しています。今回は最後のソーラン節の立ち上がりが少し弱かったように感じました。多分、私の感性がかなり弱っているのだとおもいます。本当に、今の現実の中で苦しんでいる若い人たちに見てもらいたいのですが、彼らには余裕がない。辛い時代です。経済大国にならなくとも、戦争ができる国にならなくとも、満ち足りた笑顔が流れる国になるように、今は少し踏みとどまらなければならいと思いました。


Masao'sホーム 観劇記