『天一坊十六番 』 劇団青年座 第222公演
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観劇記 あまご 
2016年6月14日 
 
          作:矢代静一 演出:金澤菜乃英

                   


今日の芝居は大好きな劇作家の一人
矢代静一さん
ひさしぶりです
3年前に、ここの劇場で『夜明けに消えた』を見ました
初演は1968年、矢代静一、40代の最初の作品
先輩達が絶賛した舞台
三年前の私も感動しました。

『天一坊十六番』は
その『夜明けに消えた』が書かれた翌年
1969年に『天一坊七十番』として
青年座劇場こけら落とし公演のために書かれた芝居だそうです
最初は「天一坊六十九番」と仮題され
再演、再再演されたらその年の数字を示そうと
永遠に上演できればとの願いを込めて七十番と命題され
今年は2016年 『天一坊十六番』

手元の矢代静一戯曲集では『天一坊七十番』





解説で奥野健男氏は
「この作品は70年安保を控え、大学闘争が激化し、
下剋上的な風潮が強まった時代をふまえ、
また自然環境を破壊する公害が人類破滅の不安を呼び起す
70年を先取りするかたちで書かれている」と

70年代と今の時代が似ていると言われますね
今はより不安を感じます

女流劇作家が、ねじり鉢巻きで、原稿を書いている

どだっだだ、どぼっぼぼ
げろっろろ、ごろっろろ

この奇妙な歌声と共に天一坊が登場

時は江戸、八代将軍徳川吉宗公の頃
人生に退屈している浪人者、山内伊賀亮
家も船も、女も、なにもかも捨てた漁師、九助
苦労性で働き者、楓
万事におおらかな、椿
彼らは口々に言う
「天一坊は純粋無垢さと、奇妙な魅力を持っている」と
ここに突如、名奉行大岡越前守が登場
「天一坊が実は将軍吉宗公の御落胤(隠し子)かもしれない」と告げる
舞台は時空を越え、想像もつかない摩訶不思議な世界へ
スカバンドの生演奏とコンテンポラリーダンスもにぎやかに
2016年6月『天一坊十六番』の幕が開く
                          劇団のHPより

「なにもかも捨てて私についてきなさい」
天一坊(横堀悦夫)の言葉に
人生に退屈している浪人伊賀亮(五十嵐明:写真右端)や
粗野で単純な漁師九助(山崎秀樹:写真左端)
苦労性の働き者の姉 楓(小林さやか:中央左)
万事オウヨウな妹 椿(安藤瞳:中央右)
そして最後は大岡越前守(山地和弘)まで・・・
天一坊はキリストのようでもあり
『夜明け消えた』に登場する
純粋無垢な「ぐず」や「ひばり」に通じるものがある
汚れた心が純化されて行くような
矢代静一の不思議な世界
しかし
矢代静一は美しいものだけを描いてはいない
人間の住む世界にはどろどろとしたものがあり
お互いを傷つけながらもがいている

芝居は時々現代に戻る劇中劇
女流作家(津田真澄)はこの芝居をどのように
作り上げて行くかもがいている
時折彼女の恋人?イワン・イワノビッチから電話がかかる
彼のアイデアから芝居が生まれるていると
イワン・イワノビッチは何者なのか

ラストは逃げ回る天一坊
追いかける者達
ぐるぐると輪になって天一坊を取り囲み廻る
ふと気づくと天一坊が消えている
衣装だけを残して

椿:・・・食べちゃったのね、私たち・・・みんなで・・・あの人を
越前守:・・・これでいいんだ。
伊賀亮:・・・これで、奴は、俺たちの心の中にいつまでも生きていることになる。

暗転
そして明るくなり
女流作家が鳥籠に向かって叫ぶ
かわいそうなイワン・イワノビッチ・・・

するとイワン・イワノビッチなのか天一坊なのか声が聞こえる
草ぼうぼうの小道を、チャンとキチンと直して、
みなさまの歩けるのようにするのこと
とてものとてものよいこと
死ぬるのこと
恐くない

鳥籠のなかに文字が浮かび上がる

「荒野に呼ばはる者の声す、その小道を直くせよ」



久々の矢代静一の世界
青年座劇場の素晴らしい空間で
見事なアンサンブル
時折横堀さんが昔『悲しき恋泥棒』を演じた
亡き緒方拳さんとダブりました。
その時のセリフ
「桜が咲いて、冬でした」
今回も同じセリフがありましたね
懐かしく思いました

舞台は近藤良平振り付けのコンテンポラリーダンス
ピアノ・サックス、ドラムによる生演奏
見応え聴きごたえのある舞台でした

 

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