『弁明』 文学座9月アトリエの会
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観劇記 あまご 
2016年9月9日 
 
          作:アレクシ・ケイ・キャンベル
          訳:広田敦朗 演出:上村聡史   

                   


 1968年、私が18歳の学生のとき初めてのデモ「10.21国際反戦デー」に参加しました。全国で76万人がストライキに突入し、456万人が集会に参加したそうです。労働組合を始め、新左翼と呼ばれた過激な学生集団など様々な団体によるデモが行われました。私はまだ労働者でもなく新左翼でもなく、どこのデモに参加するか悩みましたが、仲間たちと相談して「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」のデモに参加したのです。すれ違った労働組合の人たちに「頑張れよ!」と声をかけられたことが、労働者の卵だった私には感動でした。その頃、世界中で反戦平和、女性解放、公民権運動、環境運動などが起きていたことは後になって知りました。芝居の案内を見て私もまた「六八世代」であったこと、時代の中に生きていたのだと、懐かしく、芝居を観る前からワクワク感がありました。
 舞台は三方の観客席に囲まれたリビングダイニング、壊れかけたオーブンと崩れかかったような親子の会話から始まりました。永い年月の中で出会った人たちとの別れや再会、親達の世代とは違った世界観の中で成長した子供達、さまざまな場面が壊れかけ始めた我が身体、人生とも重なりました。

あらすじです
 主人公のクリスティン(山本道子)は若き頃、様々な反戦運動や女性の地位向上のために闘ってきた闘士、男性優位の世界であった美術史研究界で成功を収め、最近、回顧録を出したばかり。今日は彼女の誕生日、長年の友人ヒュー(小林勝也)と世界を舞台に活躍する超エリート銀行員の長男ピーター(佐川和正)。ピーターの婚約者トルーディ(栗田桃子)、彼女は純粋なプロテスタント。次男のサイモン(亀田佳明)は芽が出ない小説家でなかなか舞台に姿を現さない。サイモンの恋人、女優のクレア(松岡依都美)はサイモン以外にも恋人がいる。メインデッシュはオーブンが壊れているのでなかなか焼き上がらない。いらいらした状態の中で、そんな面々による誕生日の食事会が始まりました。
 舞台には登場しませんが、クリスティンの生き方を理解しリベラルだった夫はサイモンがまだ幼いころに突然二人の息子を連れて家を出たのでした。息子たちは当然母が迎えにくるものだと信じていたのですが、なぜか母は迎えに来なかった。その後、クリスティンはイタリヤで美術史の研究活動をつづけ、時折、休暇を取って息子たちに会いに行きます。回顧録にはなぜ母と別れさせられたのか、何故迎えに来なかったのか、そのことが書かれていません。二人の息子はそれを責めるのでした。クリスティンの『弁明』が始まります。

 
 
文学座2017カレンダーより




 クリスティンは多くを語りません。回顧録のことも詳しくは出て来ません。事件の流れを楽しむ芝居と異なり、登場人物たちの内的変化、ピーターは多分、母と二度と会わないかもしれない、しかし、思想的には正反対の純粋無垢なトルーディの優しさが二人をつなぎとめて行くような予感がします。クレアはサイモンと別れ、サイモンは母の家に帰り、今度こそは母クリスティンの愛情によって生まれ変わるかもしれません。家族の別れと再会、そして旅立、家族の絆を確かめながらも、登場人物達が一人一人の個人として模索して行く、それを観客席に問う、私としてはとても重たい芝居でした。
 誕生日の食事が終わり、翌朝、やっと現れた次男のサイモン、転んでガラスが刺さり血だらけになった手のひら、ピンセットでひとつひとつ抜き取ってやるクリスティンの姿には母子の限りない愛情を感じました。文学座の素晴らしい役者達による小さな空間での舞台、重たい芝居でしたけど、とても楽しめました。見事なアンサンブルでした。

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