『銀の滴降る降るまわりに 観劇記』 
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観劇記 あまご 
2016年12月17日 
 
          作:杉浦久幸 演出:黒岩亮 劇団文学座公演
                           神戸演劇鑑賞会12月例会
                   
あらすじ 上演パンプレットより

1944年初秋
戦局はいよいよ逼迫してきた
7月にはサイパン島が玉砕
日本軍は米軍の沖縄侵攻を予測し守備軍の強化を急いだ
旭川独立速射砲大隊は沖縄首里郊外運玉森において
陣地の構築に取り掛かっていた

首里郊外ある与那城家
運玉森にも近く今は日本軍に徴用され
大隊の兵舎兼炊事所として使われていた
沖縄守備軍の増員により宿舎が足りなくなり
強制的に接収されたのである
与那城で任務につく炊事班の兵士たち
岡村勝治、田上進、南豊作、香坂春幸の中に
糧秣(りょうまつ)調達係として働く冨田栄吉がいた
冨田は高山班長はじめ兵士たちから
アイヌであることで日常的に差別的な扱いを受けていた
まだ米軍の姿はなくそれほど緊迫感は感じられない
軍に協力する区長の与那城義之とその妻イトには
冨田は心をゆるせるようだった

10月10日
炊事兵として現地徴用された中里幸吉が現われる
無愛想な中里と卑屈な態度をとる冨田の関係は初対面からぎくしゃくする
首里の女子高に通う知念幸子と玉城マツも炊事係として徴用され
イトに連れられてやってきた
冨田と中里がいがみ合いながらも買出しに出かけて
しばらくすると那覇の町から空襲警報が鳴り響く
十・十空襲である
那覇は焦土化し沖縄の重要拠点も甚大な被害を蒙った
那覇から一人与那城家に戻ってきた中里を
置き去りにされたと冨田は怒りを露わにする

十二月
空襲を免れた運玉森近くの与那城家
空襲で那覇の食料倉庫がやられ食糧事情が極端に悪くなり
部隊の食料を維持するために高山班長は
住民からの食糧提出を強め
小野寺克己小隊長はそれを戒める
炊事兵たちの間にも険悪な空気が流れ始めていた
そんな時イトは中里の出産祝いにと
祝いの品と酒をもってきたが・・・・

1945年に入り戦局が悪化する中
炊事兵たちは畑仕事や豚の飼育と
戦時とは思えない奇妙な穏やかさの中にいた
冨田と中里も同じ任務を遂行するうち
いがみ合いながらも心を通わせ始める
中里やイトの沖縄人としてのアイデンティティの確かさや
妹・和美からの手紙で冨田も
アイヌとしての心を呼び覚ませるのだった

4月1日
終に米軍が沖縄本島に上陸
後に「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の陸海空からの猛爆撃が始まった
炊事兵たちも臨戦態勢となり緊張感に包まれる
米軍は徐々に運玉森に迫ってきた
そして5月------


パンフレット 稽古場風景より

あの戦いでの沖縄の人達が見捨てられたこと
知ってはいましたが
その中にアイヌの人たちがいたとは
北海道の旭川の部隊が駐在していたことも

私が初めて読んだ小説は「コタンの口笛」
確か小学高の4年生ぐらいだったと思いますが
日本にアイヌという人たちがいて
差別を受けていると
小説の中身はもうほとんど覚えていませんが
とても悲しい本でした

アイヌの人たちは昔は静岡あたりまで居たそうです
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」では
明治の初期の頃の
北海道のアイヌの人たちの生活が書かれています
彼らはとても上品で優しいと・・・

民俗学的には
アイヌも大和も琉球人も縄文人を基盤とした共通の祖先をもつ民族で
大和民族は従来の縄文人が
弥生時代に大陸から渡来した人々と混血されることで成立したと言われています
アイヌ民族は大和民族に追われて本州から逃げ出した人達ではなく
縄文時代から
北海道・樺太・千島列島・カムチャッカ・東北地方北部に
住んでいた人々の子孫だそうです
江戸時代の中期1756年に
弘前藩勘定奉行であった乳井貢が
津軽半島で漁業に従事していたアイヌに対し同化政策を実施
以後、本州からアイヌ文化が急速に失われたと

明治以降は大和民族との通婚が増え
両親がともにアイヌであるアイヌは減少している
大和民族との通婚が増えている理由として
西浦宏巳は1980年代前半に二風谷のアイヌ調査で
和人によるアイヌ差別があまりにも激しいため
和人と結婚することによって子孫のアイヌの血を薄めようと
考えるアイヌが非常に多いと指摘しています

北海道においてはアイヌ居留地などは存在しないが
平取町二風谷等をはじめとする「全道各地」に多数が居住するほか
白老や阿寒湖温泉では観光名所として
アイヌコタン(コタンは集落を意味する)が存在する

明治の初期北海道を訪れたイザベラ・バードの「日本奥地紀行」では
白老の場合
アイヌ51戸の村に日本人11戸

明治に入ると日本政府によって北海道の開拓が始まります
薩摩藩士の北海道開拓長官黒田清隆と同郷の政商五代友厚との
開拓使官有払い下げ事件は有名ですが
こうした大規模の開拓もアイヌの人たちに
大きな影響を及ぼしたものと思われます

一方南の方では
今から600年ほど前(1429年)に琉球王国が成立し
1609年に島津が琉球に侵入し貿易の利権を手に入れます
1879年(明治12年)日本政府は軍隊を派遣し
琉球王国を滅亡させ沖縄県を設置します

琉球とアイヌ
二つの民族の歴史に薩摩が深く関わっていた
明治という時代が
日本の負の歴史として与えた影響は大きいと思います

人はどこからきてどこに行くのか
人類のルーツを考える事はとても大切だと思います
琉球・アイヌ・大和に共通する縄文人のDNAは
中国や朝鮮の人たちにはないそうです
大和には稲作を伝えた朝鮮半島や中国の人たちのDNAがあります
元をたどればアフリカを起源にもつ
ホモ・サピエンス

人はなぜ争うのか
狩猟採集民族であった縄文人は争うことなく
ほぼ平等に分けあい
舟に乗り
遠くに住む人達と交流したそうです


 

芝居を見終って
今の沖縄のこと
中東の民族の争い
貧富の格差のこと
人はなんのために生きるのか
様々なこと考えました


銀の滴降る降るまわりに
芝居の中で聞こえてきましたね
梟(ふくろう)はアイヌでも沖縄でもカミサマの鳥だそうです

この物語はアイヌ文学研究者の金田一京助の助言を受けて
知里幸恵さんという16才の少女が
字を持たなかったアイヌ文学を日本語に移しかえた作品です
知里さんは「アイヌ神謡集」を4年間書き続け
1922年に上京し金田一邸で校正をすべて終えた晩に
心臓麻痺で19歳の短い生涯を閉じられたそうです

この「アイヌ神謡集」は青空文庫でも読めます

アイヌ神謡集 知里幸惠編訳
梟の神の自ら歌った謡
     「銀の滴しずく降る降るまわりに」

「銀の滴降る降るまわりに,金の滴
降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら
流に沿って下り,人間の村の上を
通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が
今の貧乏人になっている様です.
海辺に人間の子供たちがおもちゃの小弓に
おもちゃの小矢をもってあそんで居ります.
「銀の滴降る降るまわりに
金の滴降る降るまわりに.」という歌を
歌いながら子供等の上を
通りますと,(子供等は)私の下を走りながら
云うことには,
「美しい鳥! 神様の鳥!
さあ,矢を射てあの鳥
神様の鳥を射当てたものは,一ばんさきに取った者は
ほんとうの勇者,ほんとうの強者だぞ.」
云いながら,昔貧乏人で今お金持になってる者の
子供等は,金の小弓に金の小矢を
つがえて私を射ますと,金の小矢を
私は下を通したり上を通したりしました.
その中に,子供等の中に
一人の子供がただの(木製の)小弓にただの小矢
を持って仲間にはいっています.私はそれを見ると
貧乏人の子らしく,着物でも
それがわかります.けれどもその眼色を
よく見ると,えらい人の子孫らしく,一人変り
者になって仲間入りをしています.自分もただの小弓に
ただの小矢を番えて私をねらいますと,
昔貧乏人で今お金持の子供等は大笑いをして
云うには,
「あらおかしや貧乏の子
あの鳥,神様の鳥は私たちの
金の小矢でもお取りにならないものを,お前の様な
貧乏な子のただの矢腐れ木の矢を
あの鳥,神様の鳥がよくよく
取るだろうよ.」
と云って,貧しい子を足蹴にしたり
たたいたりします.けれども貧乏な子は
ちっとも構わず私をねらっています.
私はそのさまを見ると,大層不憫に思いました.
「銀の滴降る降るまわりに,
金の滴降る降るまわりに.」という歌を
歌いながらゆっくりと大空に
私は輪をえがいていました.貧乏な子は
片足を遠く立て片足を近くたてて,
下唇をグッと噛みしめて,ねらっていて
ひょうと射放しました.小さい矢は美しく飛んで
私の方へ来ました,それで私は手を
差しのべてその小さい矢を取りました.
クルクルまわりながら私は
風をきって舞い下りました.
すると,の子供たちは走って
砂吹雪をたてながら競争しました.
土の上に私が落ちると一しょに,一等先に
貧乏な子がかけついて私を取りました.
すると,昔貧乏人で今は金持になってる者の
子供たちは後から走って来て
二十も三十も悪口をついて
貧乏な子を押したりたたいたり
「にくらしい子,貧乏人の子
私たちが先にしようとする事を先がけしやがって.」
と云うと,貧乏な子は,私の上に
おおいかぶさって,自分の腹にしっかりと私を押えていました.
もがいてもがいてやっとの事,人の隙から
飛び出しますと,それから,どんどんかけ出しました.
昔は貧乏人で今は金持の子供等が
石や木片を投げつけるけれど
貧乏な子はちっとも構わず
砂吹雪をたてながらかけて来て一軒の小屋の
表へ着きました.子供は
第一の※(「窗/心」、第3水準1-89-54)から私を入れて,それに
言葉を添え,斯々かくかくのありさまを物語りました.
家の中から老夫婦が
眼の上に手をかざしながらやって来て
見ると,大へんな貧乏人ではあるけれども
紳士らしい淑女らしい品をそなえています,
私を見ると,腰のなかをギックリ屈めて,ビックリしました.
老人はキチンと帯をしめ直して,
私を拝し
「ふくろうの神様,大神様,
貧しい私たちの粗末な家へ
お出で下さいました事,有難う御座います.
昔は,お金持に自分を数え入れるほどの者で
御座いましたが今はもうこの様に
つまらない貧乏人になりまして,国の神様
大神様をお泊め申すも
畏れ多い事ながら今日はもう
日も暮れましたから,今宵は大神様を
お泊め申し上げ,明日は,ただイナウだけでも
大神様をお送り申し上げましょう.」という事を
申しながら何遍も何遍も礼拝を重ねました.
老婦人は,東の※(「窗/心」、第3水準1-89-54)の下に
敷物をしいて私をそこへ置きました.
それからみんな寝ると直ぐに高いびきで
寝入ってしまいました.
私は私の体の耳と耳の間に坐って
いましたがやがて,ちょうど,真夜中時分に
起き上りました.
「銀の滴降る降るまわりに,
金の滴降る降るまわりに.」
という歌を静かにうたいながら
この家の左の座へ右の座へ
美しい音をたてて飛びました.
私が羽ばたきをすると,私のまわりに
美しい宝物,神の宝物が美しい音をたてて
落ち散りました.
一寸のうちに,この小さい家を,りっぱな宝物
神の宝物で一ぱいにしました.
「銀の滴降る降るまわりに,
金の滴降る降るまわりに.」
という歌をうたいながらこの小さい家を
一寸の間にかねの家,大きな家に
作りかえてしまいました,家の中は,りっぱな宝物の積場
を作り,りっぱな着物の美しいのを
早つくりして家の中を飾りつけました.
富豪の家よりももっとりっぱにこの大きな家の
中を飾りつけました.私はそれを終ると
もとのままに私の冑の
耳と耳の間に坐っていました.
家の人たちに夢を見せて
アイヌのニシパが運が悪くて貧乏人になって
昔貧乏人で今お金持になっている者たちに
ばかにされたりいじめられたりしてるさまを私が見て
不憫に思ったので,私は身分の卑しいただの神では
ないのだが,人間の家
に泊って,恵んでやったのだという事を
知らせました.
それが済んで少したって夜が明けますと
家の人々が一しょに起きて
目をこすりこすり家の中を見るとみんな
床の上に腰を抜かしてしまいました.老婦人は
声を上げて泣き,老人は
大粒の涙をポロポロこぼして
いましたが,やがて,老人は起き上り
私の処へ来て,二十も三十も礼拝
を重ねて,そして云う事には,
「ただの夢ただの眠りをしたのだと
思ったのに,ほんとうに,こうしていただいた事.
つまらないつまらない,私共の粗末な家に
お出で下さるだけでも有難く存じますものを
国の神様,大神様,私たちの不運な
事を哀れんで下さいまして
お恵みのうちにも最も大きいお恵みをいただき
ました事.」と云う事を泣きながら
申しました.
それから,老人はイナウの木をきり
りっぱなイナウを美しく作って私を飾りました.
老婦人は身仕度をして
小さい子を手伝わせ,薪をとったり
水を汲んだりして,酒を造る仕度をして,一寸の間に
六つの酒樽を上座にならべました.
それから私は火の老女,老女神と
種々な神の話を語り合いました.
二日程たつと,神様の好物ですから
はや,家の中に酒の香が
漂いました.
そこで,あの小さい子にわざ
古い衣物を着せて,村中の
昔貧乏人で今お金持になっている人々を
招待するため使いに出してやりました.ので
後見送ると,子供は家毎に
入って使いの口上を述べますと
昔貧乏人で今お金持になっている人々は
大笑いをして
「これはふしぎ,貧乏人どもが
どんな酒を造ってどんな
御馳走があってそのため人を招待するのだろう,
行ってどんな事があるか見物して
笑ってやりましょう.」と
言い合いながら大勢打ち連れて
やって来て,ずーっと遠くから,ただ家を見ただけで
驚いてはずかしがり,そのまま帰る者もあります,
家の前まで来て腰を抜かしているのもあります.
すると,家の夫人が外へ出て
人皆の手を取って家へ入れますと,
みんないざり這いよって
顔を上げる者もありません.
すると,家の主人は起き上って
カッコウ鳥の様な美しい声で物を言いました.
斯々かくかくの訳を物語り
「この様に,貧乏人でへだてなく
互に往来も出来なかったのだが
大神様があわれんで下され,何の悪い考えも
私どもは持っていませんのでしたのでこの様に
お恵みをいただきましたのですから
今から村中,私共は一族の者
なんですから,仲善くして
互に往来をしたいという事を皆様に
望む次第であります.」という事を
申し述べると,人々は
何度も何度も手をすりあわせて
家の主人に罪を謝し,これからは
仲よくする事を話し合いました.
私もみんなに拝されました.
それが済むと,人はみな,心が柔らいで
盛んな酒宴を開きました.
私は,火の神様や家の神様や
御幣ごへい棚の神様と話し合いながら
人間たちの舞を舞ったり躍りをしたりするさまを
眺めて深く興がりました.そして
二日三日たつと酒宴は終りました.
人間たちが仲の善いありさまを
見て,私は安心をして
火の神,家の神
御幣棚の神に別れを告げました.
それが済むと私は自分の家へ帰りました.
私の来る前に,私の家は美しい御幣
美酒が一ぱいになっていました.
それで近い神,遠い神に
使者をたてて招待し,盛んな酒宴を
張りました,席上,神様たちへ
私は物語り,人間の村を訪問した時の
その村の状況,その出来事を詳しく話しますと
神様たちは大そう私をほめたてました.
神様たちが帰る時に美しい御幣を
二つやり三つやりしました.
のアイヌ村の方を見ると,
今はもう平穏で,人間たちは
みんな仲よく,彼のニシパが
村に頭になっています,
彼の子供は,今はもう,成人
して,妻ももち子も持って
父や母に孝行をしています,
何時でも何時でも,酒を造った時は
酒宴のはじめに,御幣やお酒を私に送ってよこします.
私も人間たちの後に坐して
何時でも
人間の国を守護まもっています.
  と,ふくろうの神様が物語りました.

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