『歌うシャイロック』 
Masao'sホーム  
観劇記 あまご 
2017年3月1日 
新開地 KAVCホール 
          作・演出: 鄭 義信 兵庫県立ピッコロ劇団 第57回公演

                   


鄭 義信のベニスの商人
どんな舞台になるのか楽しみにしていました
やはりシャイロックへの熱い思い入れがありましたね
原作ではシャイロックの財産の半分は国庫に納め
残り半分のアントーニオ分はシャイロックの死後
娘のジェシカのものになり
シャイロックを除けば全てハッピーエンドになるのですが
・・・
ところが
ロレンゾーに裏切られたジェシカは
まるでジュリエットのように狂乱し
ラストとは白い衣装のシャイロックとジェシカが
エルサレムへ旅立場面で幕となりました
鄭 義信のシャイロックへの思い入れが感じられました
客演の剣幸さんのポーシャは男装の麗人
ポーシャの侍女ネリッサが右近健一
二人のコミカルな演技に舞台は湧きました
道化のラーンスロットを演じた役者さんや
モロッコの大公を演じた役者さんも愉快でした
悲劇に喜劇が折り重なって
原作とはまた一味違った楽しい舞台でした

シャイロックは悪人なのか
それとも善人なのか

3年ほど前
今は亡き文学座の加藤武さんの朗読を聞きました
坪内逍遥版のベニスの商人です
加藤さんのシャイロックは痛めつけらた者たちの怒り
坪内逍遥の西洋に対する東洋=日本
そんな想いを感じました

立場が違うと言えば
ウエスカーのシャイロック
ウエスカーはユダヤ人ですからシャイロックをこんなふうに描いています



シャイロックはユダヤ人居住区にすむ金貸しであるが
学問を愛する書物の蒐集家でもある
ベニスの商人アント―ニオは書物に向けられた
シャイロックの情熱に魅せられている
アントーニオは名づけ子のバ^サーニオに頼まれ
シャイロックに三千ダカットの借金を申し込む
親友のためなら証文も無し
担保も要らないとシャイロックは答えるが
契約を交わさないでユダヤ人との取引を禁ずる
ベニスの法律はそれを許さない
それでは野蛮な法律には馬鹿げた証文で対抗しょう
アントーニオの胸の肉1ポンドを担保にしようと
二人は楽しく笑いあう


東京演劇アンサンブルの舞台写真より 2011/10

そして
鄭 義信の「歌うシャイロック」のように
ジエシカはロレンゾーを避け
シャイロックはエレサレムに旅立つ
原作のように二組の祝福された結婚ではなく
悲劇でも喜劇でもない
無知と偏見に対する社会とのウエスカーの怒りがある
そこには鄭 義信と共通するものがあるように思いました

ウエスカーはシャイロックについて次のように語っています
「劇にの中心のテーマは友情であると
そしてこのテーマに付随して
力の本質
国家と個人の関係
親子の関係
男女の関係
これらのテーマがこの劇で扱われている
シャイロックは家族を愛し
友情を重んじ
学問を愛し
自由を熱望します
シャイロックによって家族やベニスの生活が沸き立ち
緊迫した人間関係が生じるのです」
(『商人』日本初演に寄せたメッセージ)より

そしてウエスカーは対談で
「演劇は人生を描く」と語っているが
シャイロックには「自由な精神」が体現されている
シャイロックの後ろ姿からあふれ出る力が感じられるのである

訳者:竹中昌宏「シャイロック」の解説から

「歌うシャイロック」のラストシーンはまさに
自由へのあふれ出る力が感じられました
在日の鄭 義信 ユダヤ人作家のウエスカー
そして東の彼方から西洋を見つめていた坪内逍遥
精神が解放され自由を感じるとき
「素晴らしい!地下の泉のように新鮮で変わらない
新しい知識が遂にある日 あふれ出たのだ」
(『シャイロック』第一幕第7場)より

ウエスカーは昨年4月12日(83才)に亡くなりました
ウエスカーにはたくさん学びました
はじめての芝居は「調理場」
「結婚披露宴」
そしてウエスカー三部作
「根っこ」「大麦入りのチキンスープ」「僕はエルサレムのことを話しているのだ」
この芝居「シャイロック」が再演されることを期待します
できれば関西でも
そして
鄭 義信 三部作
「焼肉ドラゴン」「パーマ屋スミレ」「たとえば野に咲く花のように」

パンチ溢れる芝居をまた期待します


(前列左から)鄭 義信、剣 幸、右近健一 
(後列左から)上瀧昇一郎、孫 高宏(シャイロック)、今井佐知子(ジェシカ)

 

ページTOP

Masao'sホーム 観劇記