『私はだれでしょう』 |
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Masao'sホーム 観劇記 あまご 2017年3月14日 |
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作;:井上ひさし 演出:栗山民也 |
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初演は執筆の遅れにより公演は約2週間延期され 観る事ができなかった人は延べ3000人 <幻の新作> と言われる『私はだれでしょう』 今回の再演 運良く東京にいて見ることが出来ました 再演への思いやあらすじは こまつ座通信号外に書かれていますした |
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配役 は2007年に比べ大鷹さんとピアノの朴さんを除けば がらりと変わりました |
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2017年 朝海ひかる 枝元萌 大鷹明良 尾上寛之 平埜生成 八幡みゆき 吉田栄作 朴勝哲 |
役 川北ひかる 山本三枝子 佐久間岩雄 高梨勝介 山田太郎? 脇村圭子 フランク馬場 ピアノ奏者 |
2007年 浅野ゆうこ 梅沢昌代 同 北村有起哉 川平慈英 前田亜季 佐々木蔵之介 同 |
芝居は当時GHQの支配下に置かれた日本放送協会のラジオ番組 「尋ね人」の制作現場です 凛とした作り手たち 井上ひさしさんの初演時の前口上によれば 戦前戦中の日本放送協会は財団法人で 内閣情報局監督下の国策宣伝機関でした それが敗戦からは アメリカによる日本人の再教育機関になり 講和条約前後からは ときの政権党の言うことを聞かないといろいろ面倒がおこるという 特殊法人にされてしまいました こうした(汚れた歴史)にたいして 電波は主権者(つまり受信者)のものであると考えて さまざまな干渉とキチンと向き合ってゆく人たちが たくさんおられて それが凛とした態度になっているようでした そこで この戯曲は あのころの凛として番組を作っていた方たちに捧げられたものです the座 No90より 初演から10年 マスコミ界は凛とした姿勢を貫くことが困難となり 幾つかの報道番組の担当者が降板させられ 総務庁の担当大臣は戦前にもどったかのような振る舞いです 機密保護法に 共謀罪 この芝居をみていると 自由の大切さを噛締めます 最近は報道を扱った映画や芝居がしばしば上演されます ケイト・ブランシェットとロバート・レッドフォードによる「ニュースの真相」 映画サークルの2月例会でした この映画のもととなった 「大統領の疑惑」を今読んでいるところです 芝居では おなじくCBSの報道を扱った 「エルドラドホテルアメリカーナ」 「逢坂〜めぐりのめあて」も ジャーナリスト達の物語でした 演出の栗山民也さんは 『この作品が十年の時を経た日本の「今」をこそ 痛烈に描き出しているということ 井上戯曲はこの国 過去の歴史や人物を題材としながら まるで同時代の出来事を題材にしたかのように 私たちの「今」を映すことが多いが 今作はより一段と 現在と作品との合致を気味悪くほど強く感じさせられる』 戦後七十年あまり経って 凛とした生き方ができたのか 大人になれたのか 自分自身を含めてこの国の行方に 不安を感じます 様々な問題提起のあったこの芝居ですが とても完成度の高い芝居でした 練習時間も少なかった初演に比べ 十分に練られたように想像します それだけに役者さん達も大変だったのでは・・・ 主人公の山田太郎?を演じた平埜生成さん 昨年の『恥辱』では目立たない役でしたが 今回は歌に踊りに大活躍 いい役者さんになるな〜と思いました 若手の女優八幡みゆきさん キレのいい演技と歌で舞台が華やぎました そしてなんとっても今回の華は朝海ひかるさん 井上ひさし作「国語元年」では鹿児島弁の南郷光 イプセンの「幽霊」ではヘレーネ 新劇の舞台でも大活躍 素晴らしい歌とキレのよい踊り さすがに元宝塚のトップです 若手三人(朝海、平埜、八幡)の歌と踊りにつられて 枝元萌、大鷹明良、吉田栄作、尾上寛之さん達が 朴勝哲のピアノ伴奏に合わせて歌い踊り出します ほんとうに見事なアンサンブルです パンフレット 稽古場風景より 朝海さんは元宝塚の俳優さんですから 朗々と歌うのかと思っていたら 実に抑制のある歌い方 六人のハーモニーはブレヒトソングのようで シリアスな音楽劇 ブレヒトソングは下手な方がよいという人もいますが 音楽劇の歌い手は上手くなければね! それに声も踊りも美しく しかもキレがいいと最高です 6:30に始まって途中休憩を挟んで3時間の芝居 帰りはすっかり遅くなってしまいましたが 華やか新宿を避けて帰りは代々木から 余韻の残しながら帰途に着きました |
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