『城塞』 
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観劇記 あまご 
2017年4月15日 
 
          作:安部公房 演出:上村聡史 新国立劇場 

                   
昨年、俳優座が眞鍋さんの演出で「城塞」を上演
眞鍋演出の作品は「かもめ」観てから
その斬新な演出に驚き
観たいと思っていましたが
東京まではなかなか行けません。
今回、上村聡史演出で上演されると知り
東京観劇ツアーの演目に組み込むことができました。
安部公房作品は神戸では1959年「幽霊はここにいる」
1960年「巨人伝説」、1967年「どれい狩り」
1970年「幽霊はここにいる」の再演
そして1971「未必の故意」を最後に安部公房作品は上演されていません。
私は辛うじて「未必の故意」を観ただけです。
昨年の東京観劇ツアー
企画:筒井事務所・奥村飛鳥
演出:望月純吉(文学座)による
「愛の眼鏡は色ガラス」は
私にとって何十年ぶりかの安部公房作品
ツアーの仲間も昨年観たあの衝撃的な舞台に
安部公房という劇作家に寄せる期待は高かったのではないかと思います。

さて
今回の「城塞」
幕が開けると宙吊りになった男
極東裁判で死刑となった男の姿に驚きました。
そして舞台も中央に石棺の牢獄のような扉がある部屋
それは豪邸の一室にある劇中劇の舞台でした。石棺は地下に通じていて
そこに、拒絶症によって時間を止めてしまった父(辻萬長)がいるのでした。


舞台 パンプレットより
父は、時折17年前(戦前)の我に返り発作を起こすため
その日を再現した“儀式”と呼ぶ芝居を息子(山西淳)や妻(椿真由美)
従僕の八木(たかお鷹)達と繰り返し演じていたのです。
朝鮮半島において関東軍と結託し膨大な利益をあげていた戦争成金の父は
日本が敗北しソ連軍の侵攻が迫るなか
妻と妹を捨てて息子と二人で飛行機に乗って日本に脱出しようとします。
金銀の詰まったトランクを抱えて。
息子は母と妹を見捨てないでと父を説得するのですが
父は逆に妹を服毒自殺に追いやってしまうのです。
やがて、群衆の暴動や銃弾の音が聞こえ
飛行機にもはや乗れないことを確信した父は錯乱し思考を止めてしまいます。
これが、事件のあらましであり
繰り返し行われる“儀式”と呼ぶ芝居なのです。
妻は妹役を演じていたのですが
もうやりたくないというので
従僕の八木が踊り子の若い女(松岡依都美)を連れてきて妹役をやらせます。
“儀式”では父は驚くほどしっかりしていて17年前のあの日の出来事を再現します。
そして
同じところで思考を止めてしまうのです。
父は思考的にはボロボロで
皆が顔をしかめるほど臭い地下室で暮らしています。
上半身はモーニング、下半身はふんどし
石室から出てきてトイレをさがす姿には驚きました。
妻がもう“儀式”はお終いにして、父を精神病院に入れなければ
夫を禁治産者にして財産を全て妻のものにするといいます。
夫は仕方なく納得しますが
その前にもう一度しっかりした父と話し合いたいと八木に相談します。
八木は、あの発作が起きる原因はある飲物によると告白します。
八木は意図的に発作を起こさせ、“儀式”を演出していたのです。
なんのためだったのか?
八木が石室に入りある飲物を飲ませ“儀式”の始まりを待ちます。
そして、石室から軍服姿の父が現われ
ふたたび劇中劇が始まりました。

芝居の途中
息子は叫びます「飛行機の迎えが来たが
僕が追い返した
もう日本には帰れない
これは芝居なんだ!
暴動の音もこのテープレーコーダーから流れている」

父を過去に逃げられないように
現実の世界の中に追い詰めてゆく・・・
父はフラフラになりながら部屋に帰りたいと泣くように叫ぶが
息子はこれでもかと追いつめてゆく。
執事のかつらを脱がせ
妹役の踊り子にダンスを踊らせる。
踊り子は衣服を脱ぎ捨て挑発的なダンスで舞台の奥に
奥の壁は崩れ去り
廃墟のような舞台奥に踊り子は舞いながら消えて行った。
暗示的な幕開けと壮絶な終幕
戦後70年経った今
何事もなかったように忘れ去れてゆく悲劇喜劇
この芝居の初演は戦争が終わって17年後の1962年
初演から38年経った今
忘れ去られるどころか
悪夢が復活しているような気がします。
2015年の防衛庁からの天下りは700人近く
防衛庁との契約が高い民間企業に優先的に下っています。
なんのために誰のために争いは起きるのか
事の本質は同じであると
芝居は語りかけているようでした。
 

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