『冒した者 観劇記』 文学座創立80周年記念
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観劇記 あまご 
2017年9月8日 
 
          作:三好十郎 演出:上村聡史 文学座9月アトリエの会 

                   


新劇交流プロジェクト公演『その人をしらず』(7/2)に続く
私にとっては今年2本目の三好十郎作品です
3時間50分の大作
2012年に観た『浮標』もまた4時間の大作でした
『浮標』を観たとき
改めて三好十郎の魅力に取りつかれました
戦前・戦後を通じて
悩みながらも自分自身に正直に生きようとした劇作家
『炎の人』のゴッホもそうでした

『冒した者』の初演は1952年7月 劇団民芸による上演です
あれから65年の歳月が経ち
古びるどころか今もなお生き生きとした作品・舞台でした
文学座通信に載せられた三好十郎の言葉(文)によると
「わたしの作品はたいがいそうであるが
特にこの『冒した者』では<現代>そのものが直接的に主題になり
主人公になっている作品である」


今を生きている私や人々が
時代に翻弄され
なんのために生きているのか

戦争と平和・自分の立位置
かって安保闘争の激しい頃
(私の若き頃の時代はその後なのですが)
自分たちはバリケードの内側なのか外側なのか
よく議論をしました
働き始めて
自分たちは労働者なのかそれとも資本の側なのか
エンジニアとは
そんな議論もよくしました
芝居に出てくる朝鮮半島の38度線
線の向こうとこちら側
そんなぎりぎりの線がいつもどこかにあったのです
しかし
70年代前の夢は微かなものとなり
今はしらず知らずのうちに
夢は漂流し始めてしまったように思います

今の時代は線ではなく流動的な雰囲気(かたまりのようなもの)が
時代を形成しているようにように思います
井上ひさしさんが昔
明珍美紀記者とのインタビューの中で
細菌分類学者の辨野義美さんの「腸内環境学のすすめ」を紹介しながら
こんなこと語っておられます
ひとの大腸の長さは1.5m
大腸には小腸から送られてくる食物繊維を分解するために
重さにして1キロ、種類にして千種類の腸内常駐菌がいる
この腸内常駐菌は3種類あって
消化を助ける全体の2割を占める「善玉菌」
そして腸内腐敗をおこし発癌を促進する1割の「悪玉菌」
のこり7割が善玉にもつき悪玉にもつく「日和見菌」
「善玉菌」が元気な時は「日和見菌」が味方してうまく便が発酵する
「悪玉菌」が力を得ると「日和見菌が加勢して便は腐敗する


境界が曖昧になってしまった今の私は
流れに惑わされないように

ただ思うのです

芝居はまだ上演中ですから
あらすじはチラシから
空襲で崩れかけている、崖の上に立つ屋敷。
そこには九人の人間たちが、平穏に暮らしていた。
ある日、須永という青年が訪ねてくる。
しかし彼の素性が明らかになるにつれ、
屋敷の住人の様相がいびつになっていく。



文学座2018カレンダーより

薄れゆく記憶のために・・・

舞台となる屋敷は
今はもう亡くなった元満州国の大官が残した
3階建て数十の部屋がある大邸宅
戦中に焼夷弾の被害を受け損壊し
使える部屋は1/3程
そこに5家族・9人の人たちが暮している
独り暮らしで2階中央の最も立派な部屋に住む
柳子さん(栗田桃子)は大官が赤坂の一流芸者に産ませた子で
長唄の名取で三味線の名手

舞台開くとぽっかり空いた目玉の穴のような空間で
三味線を弾く柳子さんの姿が浮かび上がります
粋な黒着物姿に激しい三味線の音
はじめて見た桃子さんの着物姿と三味線に
打たれてしまいました
文学座の女優さんは養成所時代「女の一生」の演技を通じて
和服の着付けや和の演奏を学ばれるそうです

芝居はこの目玉のような空間
焼夷弾が落ちた跡を表現しているのか
生と死が混在した「るつぼ」なのか
不思議な空間を中心に物語は展開します

この家の持ち主は大官の奥様で
今、歳は90に近く
広島に住んでいて寝たきり状態
邸宅の管理は未亡人の遠縁にあたる浮山(大場泰正)が
これまた遠縁のモモちゃん(金松彩夏)と1階に住んでいます
浮山は元々は絵描きで柳子さんと結婚し
この家を継ぐことになっていたのですが
道楽のはて今はすっかり枯れ切って
地下室でキノコの栽培などしています
浮山が引き取っているモモちゃんは広島で原爆を受け
家族を亡くし一人だけ助かった少女
浮山さんからもらったフルートを肩身はなさず吹いています

2階には独り暮らしの柳子のほか
株屋の若宮(若松泰弘)と娘の房代(吉野実紗)一家
内科医の舟木(中村彰男)、その妻織子(金沢映子)
舟木の弟省三(佐川和正)一家が住んでいます
若宮は柳子の株の相談役で
娘の房代は英語ができるので進駐軍の施設に勤務
医師の舟木は大きな公立病院に勤めている内科の医師で
大官の遠い親戚で
貧しい人のためにサナトリュームを作る想いがあり
かって大官はその夢に賛同し
この邸宅の敷地を提供すると書き残した手紙を持っています
妻織子は熱心なキリスト教徒で直情的な夫に不安を感じています
省三は大学の法科に通い
かって学徒出陣した時の残酷な罪の意識にとらわれ
今は過激的な運動に身を投じています

この物語の語り部「私」(大滝寛)は海ぞいの家に住んでいて
奥さんを亡くし家主に立ち退きを命じられ
その時
妻を看病してくれた舟木の世話により
今は3階に住んでいるのです
たびたび彼を慕う人たちが相談にやって来るようです
妻と海辺の海岸に住んでいて妻が病気で亡くなる
この設定は『浮標』そのものであり
三好十郎そのものだと思わせる設定になっていました
人物の相関図は文学座通信をみてください



事件は
「私」を含め9人の人びとが穏やかに暮らす館に
演劇研究生の須長(奥田一平)が
モモちゃんを訪ねてやって来ることによって始まります
須長の登場によって
穏やかに暮らしていたはずの館の9人
次々と9人の思惑や表には出ていなかった事実が明らかにされ
それも須長の言葉や行動によって明らかにされるのではなく
須長が引き起したある事件によって
館に住む人たちの緊張のベールが剥がされてゆくのでした

舞台で起きる出来事は
三好十郎本人が語るようにシュールな物語ですが
心の内としてはとてもリアルなものがあります
今は混とんとした
どこに向かって行くのか
とても不安な時代ですが
「日和見菌」の動きの中にも
現代を確かに見つめて行く力がないと
その存在そのものが失われて行く
全てが消滅しすることになるのではと思うのです
流されているようだけど
流されないぞ
その覚悟をこの芝居の中に感じるのでした


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