『いつもいつも君を憶う』 
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観劇記 あまご 
2018年1月17日 
俳優座劇場 
             脚本:山谷典子 演出:深作健太  劇団俳優座公演


女優・有馬理恵さんを励まそうと
東京日帰りでしたが
観に行ってきました

チラシにはこのように書かれていました
百年の時。時代の渦。
一つの家族を見つめ、時を刻んだ古時計
どれだけの歌が、どれだけの涙がこぼれたのだろう?


俳優座劇場
席について舞台をみると
中央に白い布がかかった長テーブルがあって
後ろには紗幕
天井から白いなカーテンが下手から上手に斜めに垂れ下がり
テーブルの左には大きな古時計が置かれ
下手にピアノ
紗幕には「2018年1月17日」と映されていました
やがて
舞台は転換し
大きな古時計は消えて

1923年―関東大震災の翌年
岡崎家の元旦から物語は始まり
現在から3年後の
2度目の東京オリンピックを迎えた
2021年の元旦で物語は終わります

およそ100年の
埼玉県川越市の岡在家を舞台に
時を隔て七つの正月の景色を舞台にした物語です

最初の正月(1924年)
関東大震災のおり連雀病院の医師岡崎春夫(蔵本康文)は
朴一家をかくまい
時計職人であった朴三順(河原崎次郎)と娘の仁淑(後藤祐里奈)が
そのお礼に時計?を持ってくる場面です
正装した男(小笠原良知)が椅子に載せられる
最初は意味不明
な〜んだ
小笠原良知さんが時計なのか
爆笑!
小笠原時計は生まれたばかりの順子さん(有馬理恵)を見守る
大切な役割がありました
赤ん坊からお婆さんになるまで
命を見つめ時の流れを刻む時計です
亡くなった人たちには時計の姿が見えます
そして語り合うこともできます
生きている人には時計は時計でしかありません
小笠原時計は絶妙な存在でした

最近
時という時間の流れを考えます
最近見た芝居「鳩に水をやる」の影響もあるのでしょうか
漱石の夢十夜
第一夜 待ち続ける100年は一瞬の出来事なのか
第七夜 舟から落ちてゆく一瞬は長い時間なのか
若き頃は100年なんていつのことやら
と思っていたのですが
段々年とってくると100年は身近に感じられるようになりました
そして
なにが変わりなにが変わらなかったのか
進歩があったのかなかったのか
自分のことを振り返ってみる事もあります

今年は王政復古150年目の年
明治という近代国家の始点は
誰にとっての維新なのか
考えさせられます

日清・日露の戦争
「これからの日本も段々発展するでしょう」
と弁護する三四郎に
「亡びるね」と広田先生に語らせる漱石
あの戦争は
国民から遊離した軍閥官僚のためにあったと蘇峰は言います

あれから100年経ち150年たった今
こんどこそは
「これからの日本も段々発展するでしょう」

思いたくなります
物語は
あの戦争で恋人・健也(杉山健生)を失い
独身を貫き
戦後は教師として懸命に生きた順子さん
健也の弟・中也(加藤頼)と
思い出の屋根上で語り合う順子さん
順子の胸のペンダントには
いつもいつも君を憶う
その人の写真がありました



昨年末
「女優・有馬理恵を応援する会」から案内があり
神戸からも幾人か応援に行く予定をしていたのですが
なかなか調整がつかず
16日にSさんが
翌日私が共に日帰りで行ってきました
終演後有馬さんに握手して
神戸からのメッセージを伝えることができました
「これからもがんばってください」
「また神戸でお会いしましょう」

一言二言でしたけど
お会いできてよかったと思います
残念なことに
芝居の当日に出演予定だった神山寛さんが亡くなったこと
19日の朝刊で知りました
私が観た最後の舞台は2年前の「まちがった疾走」でした
お悔み申し上げます

そして
当日のアフタートークで脚本の山谷典子さんが
お目出度だと話されました
新しい生命に祝福です

そして
戦争のない
格差のない
全ての人々が等しく幸せを感じる時を刻めるように

 

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