『審判』 神と人とのあいだ<第一部> 
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観劇記 あまご 
2018年3月3日 
 
作:木下順二
演出:兒玉庸策
劇団民藝 紀伊国屋サザンシアター


あらすじ
第一部 審判
 敗戦の翌年から二年半にわたって行われた「東京裁判」(極東国際軍事法廷)。東条英機らA級戦犯が裁かれたこの厖大な速記録をもとに、木下順二が深刻かつ滑稽な裁判劇に再構築。第一幕は、従来の国際法にはなかった「平和に対する罪」(A級)のありかたを。第二幕ではヴェトナムでの日本軍の残虐行為が裁かれ、第三幕はアメリカの原爆投下に大きな焦点があてられる。息づまるような議論の応酬。そこには大国のエゴや駆け引きがあり、〈戦争と人間〉の本質を衝くドラマが描かれていく……。 公演パンプレットより



1970年10月旧神戸労演の例会でこの芝居を観ていた
 当時の会報誌を開くと
会報誌のあらすじにいくつか線を引いていることから
私にとって強い関心があったことが伺われる
もうすっかり忘れていたのだが・・・・
当時の会報誌はよく勉強した会員が書いていて
今読んでもなかなかなもので感心させられる
当時はベトナム戦争の真っ最中
二幕に出てくるフランス人の証言
彼の脳裏には
一緒にあったベトナム人の死体の事は
全く忘れ去られていた

そして第二幕
冒頭は「違反された条約というものは、その連続的違反によって効力を失う」
という弁護人の議論要約から始まった
つまり
「ケロッグ不戦条約」を無視したのは日本だけでない
従って、当裁判は「泥棒が泥棒を裁くという事は、少々奇妙である」と
・・・
ところがである
「そういう風に追及を拡げて行けば意外な問題---
原爆投下まで検討を加えることになる」

イギリスの検察官が口をもらした事が意外な方向に向きだした。


白字は当時の会報誌から下線は私が引いていた箇所


パンフレット(2006年『審判』の舞台より)

戦後70年
改めて今思うのは
あの戦争はなんであったのか
勝者が敗者を裁くことの滑稽さ
アメリカはその後朝鮮戦争・ベトナム戦争
そして中東への武力介入と
正義を振りかざしながらいつも争いの中心にいた
そして敗者であった日本はその後どうであったか
朝鮮特需・ベトナム特需で経済を拡大し
アメリカに追従しながら
格差社会に邁進し続けている
そこには民を思う気持ちはない
戦争とは何か
その問いかけが希薄であったのだと思う
A級戦犯を裁いた東京裁判とB・C級裁判によって
戦争責任は全て裁かれたと・・・・
終わってしまったことだと・・・

本当に日本は変わったのか?
今の日本をみていると
戦前と同じような方向に向かっているように思う
民を想う心が感じられないのです
日本人として忘れてはいけない事
木下順二さんがいう
「どうしても取り返しのつかないことをどうしても取り返す
戦後70年
この2部作が上演されることの意味は大きいと思います

今回  
今野鶏三 
小杉勇二 
神 敏将 
千葉茂則 
高野大 
山本哲也 
西川明 
大野裕生 
吉岡扶敏 
松田史郎 
伊藤孝雄 
境賢一 
杉本孝次 
水谷貞雄 
内藤安彦 
高橋征郎 
仁宮賢 
みやざこ夏穂 
大野裕生 
天津民生 
平松敬綱 
細山誉也 

配役
判事A(ニュウージランド人)
首席弁護人(日本人)
首席検察官(アメリカ人)
裁判長(オーストレイリア)
弁護人A(アメリカ人)
弁護人B(アメリカ人)
検察官A(フランス人)
検察側証人A(フランス人)
弁護人C(アメリカ人)
弁護人D(日本人)
弁護人E(アメリカ人)
検察官B(イギリス人)
検察官C(ロシア人)
弁護人F(アメリカ人)
弁護人G(アメリカ人)
弁護人H(日本人)
法廷執行官(アメリカ人)
法廷書記(アメリカ人)
言語モニター
判事
MP
1970年110月 
 松下達夫
 大滝秀治
 滝沢修
 清水将夫
 棟方巴理爾
 岩下浩
 梅野泰靖
 下元勉・庄司永建
 水谷貞雄
 長浜藤夫
 伊藤孝雄
 波多野憲
 伊東剛
 水谷貞雄
 内藤安彦
 大森義夫
 山田昭一
 小杉勇二
 嶺田則夫
 石森武雄
 金井進二
 小川吉信

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