『夢たち』 
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観劇記 あまご 
2018年5月19日 
 
作:三好十郎  演出:松本祐子(文学座)
劇団文化座公演151   両国シアターχ

三好十郎の芝居 
何故かドキドキしてしまいます
心の底にあるどろどろとしたもの
魂の叫びのようなものを感じるからです。
三好十郎初めての出会いは
私がまだ学生だった頃
佐々木愛さん主演の『美しい人』
そして社会人になってから
神戸の例会で『炎の人』と 『おりき』
それからしばらくは三好作品に触れる機会はありませんでした

数年前(2012年10月)に長塚演出『浮標』を観て再度
三好十郎の魅力に取りつかれてしまいました
『廃墟』 『胎内」を戯曲で読み
いつか上演の機会があったら逃してはならない作品だと思いました。
私の願いが通じたのか(笑)
仕事先の北九州で文化座による『獅子』を
昨年は新劇合同公演による『その人を知らず』
文学座の『冒したもの』
立て続けに三好作品にふれる機会に恵まれ
今年は『夢たち』
8作目の出会いとなりました

最近は若い劇作家の世の中のこと
鋭く観察し「そうだね」と若い感性に感心する
作品に出会うこともありますが
戦前・戦中の抑圧された時代に書かれた
魂の叫びのような作品は
決して忘れてはならないと思います
戦後
何もかも白紙に戻して
それどころか都合の悪いものは捨ててしまって
黒塗りの文章が出される時代
いつか来た道です


満州に向かう秋田からやって来た開拓団の青年たち
彼等の夢は貧困からの脱出でした

この日私は東北一人旅からの帰り
秋田は大雨で新幹線も止まり
大曲までバスに乗り継ぎ
臨時の秋田こまちに乗って
開演の10分前に劇場に到着しました
なんだか重なりました

写真は文化座「夢たち」稽古場日記から
STORYは文化座のチラシからの引用です
時は戦中
簡易旅館兼下宿屋「ことぶき屋」二階の大部屋
そこは浮世のどん底のような
吹き溜まりのような場所である
そこに住む者は音楽家を目指す父娘連れや
新聞小説の代筆で生計を立てる文士志願者
ゴム工場の見習い工
モルヒネ中毒に身を崩した男など
世間の表舞台からはじき出されたような者たち
だが、彼らにとってここはどこか心安らぐ場所である
喧嘩もするが
みんな仲良く暮らしているようでもある
ここを切り盛りする母娘も
そんな彼らを厭う風でもなく
むしろ身内同然と思っている。
折も折
顔馴染みの刑事が
住人の一人である老易者の息子が見つかったらしいという報せを持ってくる
関東大震災のとき
彼には生き別れとなった男の子がいたというのだが…




あらすじにも書かれていましたが
「ことぶき屋」はゴーリキーの『どん底』のような宿です
売れない小説家:上山愛吉(白幡大介) 写真左
徴兵検査に落ち何処か疎外感を感じる三郎(藤原章寛) 中央
易者の一閑齋(青木和宣) 写真右

登場人物たちの激しい葛藤がありますが
これまでの三好十郎作品と一味違った
不思議な暖かさを感じました
それはタイトルにあるように一人一人が持つている
『夢』なのでしょう
真珠湾攻撃の翌年に発表されたこの作品は
戦争という命が無くなるかもしれない絶望のなかに
『夢』という生きる力を描いたことが
私が感じた暖かさではなかったかなと思うのです
この芝居は物語ではありません
どん底の宿のように
ここに生きる人たちの必死な姿を描いた芝居でした
激しい葛藤もあるけど一人一人が善良で
お互いを愛おしく思っています
三郎は易者の一閑齋といつも言い合いをしていますが
本当は見知らぬ父として
好きで好きでたまらなかつたようです
三郎は孤児で徴兵検査も不合格で投げやりですが
秘密の夢を持っています
宿の娘お糸(諏訪正美)のことも好きです


三郎に届いた手紙をみて喜ぶお糸

一閑齋は震災の時に息子と離れ離れになり
いつか息子に会える日を楽しみに生きています
ひょっとしたら三郎は一閑齋の実の息子ではないのか
そんな想いが最後の場面でよぎりましたが
それもまた夢でした
三郎と一閑齋が示し合わせて
「ことぶき屋」の窮状を救うという設定は
ありふれた美談かもしれませんが
あの時代
人と人とが監視し合い
自分たちだけが生きるに必死だったの時代だと思えば
『どん底』サーチンのセリフを思い出します
・・・
文化座の若手とベテランの役者さん達
そして秋田かやって来た青年たちを演じた
日大演劇学科の学生さん
素敵なアンサンブルでした
三好十郎
永遠の作家だと思いました
 

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