『もしイタ〜もし高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ」を呼んだら』 |
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Masao'sホーム 観劇記 あまご 2018年8月22日 |
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作・演出 畑澤聖悟 出演:青森県立青森中央高等学校演劇部 |
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1年生 大室 日菜 猿ヶ澤美羽 沢田 泰晴 高橋 明里 田中 美羽 原子 惠 山上 祐花 |
2年生 岩井 冬桜子 小野 楓太 工藤 開 熊谷 至透 砂糖 智果 下山 寿音 白石 恭也 相馬夏凧海 田川 七海 田中舘美紅 西原 舞夏 森内 貴史 |
1年生 上野 泰陽 成田 有咲 松橋 百香 三津谷佳音 村上しずく 盛 晴日 山口 実想 山崎 真依 |
前々から青森中央高校演劇部の「もしいた〜・・・」 観たかった舞台が AI-HALL 開館30周年記念事業として催されました 青森中央高等学校演劇部の顧問の畑澤聖悟さんには 神戸演劇鑑賞会の講演会に来ていただき そのとき演劇部の活動が紹介されました いつかは・・という 想いがかなえられました この芝居は東日本大震災の被災者に対する哀悼 そして、「イタコ」を媒介にした死者との対話。 震災によってチームメイトや家族を失い 青森に転校してきた主人公の成長を描く 笑いあり涙ありの高校生活劇 と 紹介されています 有名タレントを配した芝居より抜群の調和があり それはそれは感動的でした 舞台美術も照明も音響もない空間で 弾けるようなエネルギー 家族や仲間達に対する想い 想いは身近な人達から見知らぬ人達に 震災や 戦争で亡くなった人達へ 充分伝わったのではないでしょうか AI・HALLの案内には 青森中央高校演劇部は7年にわたって 全国を駆け巡り、この公演を続けてきました。 その行為は東日本大震災のみならず 演じる本人たちが生まれる前の様々な災害や 戦争による死者や生き残った人々への鎮魂歌となっています。 2011年9月から全国の21都府県46市区町と 韓国・ソウルで91ステージを上演(2018年6月現在)。 そのうちの八戸市、気仙沼市、大船渡市、釜石市 久慈市、仙台市、利府町、宮古市、盛岡市、陸前高田市 石巻市、山元町、塩竃市(野々島)、郡山市、いわき市 女川町、熊本市での公演は被災地応援公演として行われました。 と 書かれていました 折角ですから AI・HALLからのあらすじを紹介しておきます 2011年4月 青森市にある某県立高校の野球部に 一人の女子マネージャーが入部する。 彼女は一年生の頃 やり投げでインターハイに出場したほどの選手だったが 怪我のため現役を断念し しかも陸上部が廃部になったため 二年生のこの時期に野球部に入部したのだった。 しかし肝心の野球部は部員が8人しかおらず やる気のかけらもない。 一念発起した新人マネージャーは部員勧誘に乗り出し ある転校生に目を留める。 彼は被災地の学校からこの春転校してきたばかりで 前の学校では野球部だったのだという。 「野球は辞めた」と言い張る彼をなんとか説得した彼女は 「ちゃんとしたコーチに来てもらおう」と学校に掛け合うが やってきたコーチはなんと 盲目の老婆、イタコだった。 老婆は「ワの言うことを聞げば絶対甲子園さ行げる」と宣言するが…。 ネタバレですが 転校生に憑りついたのはあの有名な巨人軍の沢村投手でした 沢村投手は2度目のノーヒットノーランも記録するなど 黎明期の日本プロ野球界を代表する選手です 日中戦争(支那事変)に従軍 手榴弾を投げさせられたことから生命線である右肩を痛め また戦闘では左手を銃弾貫通で負傷 右肩を痛めたことでオーバースローからの速球が投げられなり 転向したサイドスローによって 3度目のノーヒットノーランを達成 そして2度3度の出征 27歳の若さで戦死しました 沢村投手もまた戦争の犠牲者でした 終演後 畑澤聖悟さんのトークショーがあり この芝居に対する想い 当初は被災地応援公演の理解が得られなかったこと 高校演劇に対する熱い想いなど お聞きすることができました 畑澤聖悟さんは演劇部の顧問の他 青森で 「渡辺源四郎商店」という劇団を立ち上げ 毎年5月の連休に下北沢に来られます 来年の連休もまた楽しみです |
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