『動物農場』 
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観劇記 あまご 
2018年9月2日 
 劇団どろのアトリエ
原作:ジョージ・オーウェル 訳:構成・演出:新井裕也  
           

あらすじ
 舞台はジョーンズ(新井裕也)が経営する「荘園農場」、ある日のある夜、ジョーンズが寝静まった頃、メージャー爺さん(合田幸平)と呼ばれる長老の豚が、不思議な夢を見たというので、農場で働く動物、3匹の若い豚のナポレオン(山室一貫)・スノーボール(山川清文)・スクウィーラー(本田弘典)、馬車馬のボクサー(北勝成)とクローバー(今野康子)、長老のロバ・ベンジャミン(渡辺純二)、雌鳥(渡辺にいな)達を集めます。爺さん豚は、我々動物たちはなにも生産しない人間に搾取されているんだ、いつか反乱する時がやって来るはずだと話します。そして、爺さん豚は亡くなります。
 やがて、酒に酔い動物たちに餌を与えることを忘れてしまったジョン―ズに動物たちの怒りが爆発し、ジョーンズを追い出し、動物たちが自由で平等な「動物農場」を立ち上げます。そんな中でリーダーシップをとったのは3匹の賢い豚たちでした。彼らはジョーンズの息子の教科書から文字を学び、人間を敵とし、動物たちの生活の掟と平等を謳った「動物農場7戒」を定めます。しかし、動物たちの団結は長くは続きません。動物たちの未来のために農場の発展のために風車の建設を訴えるスノーボールをナポレオンとスクィラーは人間のスパイだといって追い出してしまいます。
 そして、風車の建設は元々ナポレオンのアイデアだったといって、動物たちを風車建設の過酷な労働に駆り出します。その間、人間たちとの戦いもありますが、ナポレオンとスクィラーは人間たちと闇取引をして、他の動物たちを以前にもまして搾取して行きます。二人は動物農場7戒を改悪し、自らは人間の衣装も身に付け、酒をのみ、他の動物たちを殺傷し、動物たちの自由は奪われて行くのです。働き者のボクサーは倒れ、ナポレオンは、医者と偽り屠殺業者を呼ぶのです。豚以外の動物たちは己の絶望的な状況を知るのでした。豚たちはすでに2本足で立っており、かっての人間と同様、動物たちに君臨していたのです。


なんとも、絶望的な物語
この物語はロシア革命後のスターリンの時代を皮肉ったものだそうです。
調べてみたら
『動物農場』の完成は1944年2月ジョージ・オーウェル41歳の時
ソ連がポーランド国境突破した時(1944年1月)でした。
1922年に成立したソ連は1929年にトロッキーを追放し
スターリンの独裁が始まります。
1936年1月にスペイン人民戦線内閣が成立し
フランコの反乱と独裁が始まったのは1936年7月です。
ジョージ・オーウェルはこの年に人民戦線の闘いに
市民軍として参加していました。
私は長い間
知らなかったのか
深く意識していなかったのか
人民戦線に対する
共に戦ったはずのソ連軍の市民軍に対する暴挙は
アーノルド・ウエスカーの戯曲3部作
『大麦入りのチキンスープ』・『根っこ』・『僕はエルサレムのことを話しているのだ』)
によって知りました。
ナチと同様に全体主義の誤りを犯したソ連を改めて認識したのです。
この芝居をみながら
冒頭にも書いたように
なんとも絶望的な物語
救いはないのか
考えて見れば
ソ連だけでなく
ナチドイツも戦前の日本もそうでした。
今の日本はどうかといえば
少しずつ戦前に近づいているようで
この先は本当にどうなるか分からない恐怖を感じます。
明日があるから生きているのか
時々
まるでボクサーのような空しさを感じます。
ロシアでは独裁政治と反乱の繰り返しが何世紀にもわたって繰り広げられて来ました。
16世紀のイワン4世の恐怖政治、コサックの反乱(『ボリス・ゴドゥノフ』)
18世紀のプガチョーフの乱
19世紀のデカブリストの乱など何度も政変がありました。
ロシア革命が起きる直前に亡くなったチェーホフは『三人姉妹』のなかで
「二、三百年のちどころか、たとえ百万年たったところで
人の生活はやはり元のままでしょう」

トウーゼンバフに言わせています。
日本でも
日露戦争に勝利した日本の未来を活き活きと語る三四郎に
広田先生は「亡びるね」とすました顔で一言・・・・
未来を思い浮かべるとき
チェーホフと漱石の言葉が思い出されます。

芝居を観てから数日後
偶然にも10月の戯曲の勉強会はジョージ・オーウェルの『1984』。
ロバート・アイク&ダンカン・マクミランが書いた脚本を読みました。
この戯曲も絶望的
昨年西宮芸文で観劇予定だったのですが当日都合が悪く見逃してしまった芝居です。
この絶望状態から脱出するために
原作に挑戦。
しかし原作も同じように絶望的です。
この小説はジョージ・オーウェルが亡くなる直前の1948年に書かれたもので
48を入れかえて84
つまり
36年後の近未来1984年の恐怖を描いた芝居です。
幸いなことに、延々と続くはずの恐怖の時代はそうでなく
2050年には普通の時代に戻っているという設定になっています。
ただ
2050年は恐怖の時代ではないのですが
どのような時代なのかは分かりません。
ここに少しだけ希望を感じるのです。
『1984年』の中で主人公のウィンストンは
「もし希望があるのなら、プロール(下層階級)の中にあるに違いない」

日記に書いています。
この言葉はしばしば出てきます。
オーウエルは絶望のなかにも民衆の力を信じているのだ 
小説を読みながら、芝居を思い出しながら
今はそんな気持ちに少しですがなっています。
これから「動物農場」の小説を読んでみます。
はたして小説は舞台とどのように違うのでしょうか
これもまた楽しみです。


 

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