『芸人と兵隊』 
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観劇記 あまご 
2019年3月5日 
 


昨年の「Sing a Song」に続く慰問団シリーズ?第二作
戦争は人を殺すことだが
芸は人に生きる力を与える
妻良子(柴田理恵)を訪問地で爆撃よりなくしてしまった
銀作(村井圀夫)が良子の亡霊を見るシーンで
頬に涙が出てしまいました

トム・プロジェクトのHPに
簡単なあらすじが載っていました

日中戦争中に戦地に派遣された慰問団「わらわし隊」。
昭和16年春。
あるベテラン夫婦漫才師が
中国大陸への慰問の旅に出る。
芸人を続けるには
戦争に協力するしか方法がなかったのだ。
夫婦や芸人仲間たちは前線近くまで旅を続ける。
兵士に笑いを届けることで
再び芸人としての喜びを感じていた。
そんな旅も終わりに近付いたある日
慰問団は遂に戦闘に巻き込まれる......。


わらわした隊
ウィキペディアにこのような説明がありました
わらわし隊は
吉本興業(吉本興業部)が朝日新聞社と共同で、
日中戦争勃発後中国大陸に派遣された兵士を
慰問するために結成した演芸派遣団、慰問団。
当時の帝国陸軍・海軍の戦闘機部隊の愛称であった
「荒鷲隊(あらわしたい)」をもじって「わらわし隊」と名づけられた。
陸軍恤兵部が派遣の担当を行い大規模な慰問団として華々しく宣伝された。


井上ひさし作 「円生と志ん生」に出てくる興業元も
松竹と満鉄が出資した慰問団でした
戦争で人々の生活が苦しくなり
芸では喰えなくなった人たちが大勢駆り出されて行きました
戦争に協力したというより
まだ大陸には自由が少しだけ残っており
芸で生きるためには仕方なかつたのです
芸に生きる人たちは
すこしでも人間らしく生きるために
人々に生きる力を与えるために
生きていたのでした
銀作の言葉に
芸とはそのようなものなのか
あらためて芸の力というものを感じました
昨年の『Singa Song』
淡谷のり子さんをモデルにした
三上あい子
「人を死に追いやるような歌は歌じゃない。
だから私は絶対に軍歌を歌わない」

軍部の忠告を蹴飛ばし
敵国のジャズやブルースをも歌い
前線の兵士たちに生きて帰る力を与えた
歌には力がある
古川健さんの想いとして
二つの芝居が重なりました

夫婦漫才を演じた柴田理恵さんと村井國夫さんの掛け合いも見事
若手の皆さんも呼吸がピッタリ
暗黒の時代に咲く花のような舞台でした
次作も楽しみです

今年の11月例会(神戸演観)は
古川健作「あの記憶の記憶」
私は担当サークルとして参加することになりました
チョコレートケーキという甘さそうな名前の劇団が演じる
ちょっと辛口の芝居
古川健41歳
団塊ジュニアも頑張っています

 

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