『SWEAT 観劇記』 
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観劇記 あまご 
2019年3月7日 
 
作:リン・ノッテージ 翻訳:小田島恒志・小田島則子 
演出:伊藤大 劇団青年座第235回公演
駅前劇場(下北沢)

2017年度・ピューリッツアー賞(戯曲部門)を受賞した
本邦初公演の芝居
リン・ノッテージさんは1964年ニューヨーク生まれ
本作品で2度目のピューリッツアー賞
青年座が世界で活躍する現代作家シリーズを取り上げて
2016年の「砂漠のクリスマス」に続く第5弾です
チラシを呼んだだけではちょっと重たい感じでしたが
なかなか見応えのある芝居でした



あらすじ 青年座HPより
全米で最も貧しい街の一つとされるペンシルバニア州レディング。
手厚い保障が受けられる限りは現状維持で構わないとするトレーシー。
週末に飲んで馬鹿騒ぎ出来れば他に望みはないジェシー。
今後のキャリアを考え管理職を目指すシンシア。
三人は長年、この街の同じ工場で働き
同じバーに通い続ける友人だ。
経済のグローバル化にともなう不況の波が押し寄せる中
会社は更なるコストダウンを目標に掲げ
メキシコへの工場移転を発表する。
それに対し組合はストライキを決行するが
反対に工場から完全に締め出され
賃金の安い移民に仕事を奪われてしまう。
管理者側と労働者側に分かれたことで脆くも崩れ去る三人の友情。
街中に流れる不穏な空気。
その中で労働者たちの怒りはある移民の青年に向けられた―。
ラストベルト(錆びついた工業地帯)で働く労働者たちの
2000年と2008年を切り取って
極端な分断化が進む現代アメリカ社会のリアルに迫る。

 
トレーシー
シンシア
ジェシー
イーヴァン
ジェイソン
クリス
スタン
オスカー
ブルーシー
=松熊つる松 (ドイツ系白人/工員)
=野々村のん(黒人/工員)
=佐野美幸 (イタリア系白人/工員)
=山賀教弘 (黒人/保護監察官)
=久留飛雄己 (ドイツ系白人/トレーシーの息子)
=逢笠恵祐 (黒人/シンシアの息子)
=五十嵐明 (ドイツ系白人/バーテンダー)
=松田周 (コロンビア系アメリカ人/バーの従業員)
=加藤満 (黒人/シンシアの元夫)

舞台となった2000年と2008年
2000年はITバブルの崩壊の年
2008年はリーマンショックの年です

アメリカ基幹産業は日本も同様ですが
炭鉱などの鉱業から始まり
製鉄・自動車・IT産業と推移して行きます
アメリカの経済成長が続いた1990年後半
情報通信産業の急激な発展と投資家の過剰投資は
ITバブル現象を引き起こし
数多くのIT関連ベンチャーが設立され
1999年から2000年をピークに株価が異常に上昇し
2000年春にバブル崩壊となりました
舞台の始まりは2000年春の場面から始まります
当初はまだ夢がありました
20数年ステール工場の労働者と働き続きたトレーシーは
将来退職金を手にして年金生活に入るのが夢でした
シシシアは工場労働者から抜け出して
管理職になることを夢見ています
ジェシーはよくわかりませんが
3人は共に同じ工場で長らく働き続けた仲の良い友達でした


写真はステージナタリーから
シシシア ジェシー トレ−シー

https://natalie.mu/stage/gallery/news/323078/1121544

3人が働いていたステール(製鉄?自動車?)産業は
労働組合もしっかりしていて
権利が守られ
比較的高賃金でマイホームも手にすることができました
悪く言えば権利が固定化し
就職はコネでないとかないません
移民たちはこのような工場で働くことはできません

一方
1980年頃からシリコンバレーで活躍し始めたハイテク産業
GAFA(Google,Amazon,Facebook,Apple)
(個人データを圧倒的な規模で集めている勝ち組企業)
GAFA(ガーファ)は
あまり雇用を創造していないし
多国籍企業(グローバル化)し
税金を逃れを行っていました
グローバル化は国境を越え
世界の中で最も安い賃金の労働者を求め
移民をも作り出し
モノと金を移動させて多大な利益を追求しています
結果的には移民はその国の賃金水準を下げ
安い労働力が手に入ると資本は生産性を上げるための
努力はしなくなります
これが結果的には
経済力を衰退させてゆく原因だと言われています
アメリカの基幹産業であったステール(鉄鋼・自動車)産業も
IT産業を模倣し
海外に拠点を移して行き
組合は妥協し
労働者は分断されました
多大な利益を得た一部の人たちと
貧しき人達とに二極化されてゆく
こんなアメリカ社会の現実を描いた芝居でした

日本はどうなんだろう?
などと
のんきな気分でいる私ですが
アメリカで起きている現象は
よくよく見れば
日本でも確実に起きているように思います
本当に働くものの味方といえる労働組合は少なくなりました
私が永らく所属していた組合は
いわゆる労資協調路線で
一体誰の味方なのだと思うことがたびたびあり
労働者として生きるより
正確には
(上眼組織の一員)
となるより
自覚した市民として生きるべきだと
思うようになりました
技術者は労働者なのか
労働者の連帯とは
若い頃こんな議論をしていましたが
いまだよくわかりません
ただ
この芝居は
働く者達がしっかりと世の中を見つめなければならない

考えさせられるのでした

ちょっと辛い芝居でしたけど
トレーシーの息子に殴られ死んだと思っていた
バーテンのスタンが生きていたこと
ホッとしました
3人の女性たちの息子の未来と
今の日本の若者たちが重なります
見応えのある芝居でした

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