『サヨナフ』 
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観劇記 あまご 
2019年10月4日 
 
作:大竹野正典 演出:得丸伸二(文学座)
TBスタジオ(志茂)

大竹野正典没後10年記念公演
大竹野作品の観劇は
5月の「山の声」に続いて2本目です
演出は文学座の得丸伸二さん
劇場は東京北区にあるTBスタジオという小さな劇場
緊張感溢れる芝居でした
主人公は連続射殺ピストル事件を引き起こした永山則夫
「裸の十九才」という映画にもなり
観た記憶がありますがほとんど覚えていません
芝居は永山則夫の死刑が執行される前夜の
夢を描いた物語
則夫が暮す部屋(牢獄)に次々と
永山則夫を慕う男たちが訪れます
彼は何者であるか
それはここでは書けません
夢ですから

チラシによると
永山則夫は1969年の逮捕から1997年の死刑執行まで
獄中で小説家として創作活動をしていました
1983年小説『木橋(きはし)』で新日本文学賞を受賞
彼を支援する人々と共に
資本主義を告発する運動を展開していましたが
神戸の少年Aの事件が明るみに出た年
少年犯罪の見せしめであるかのように
突然死刑を宣告されました


そういえば
フランスにも同じような作家がいました
『女中たち』という芝居を書いた
ジャン・ジュネJean Genet
1910年、私生児としてパリに生まれる。
18歳の時に外国人部隊に志願し入隊するが
後に脱走しヨーロッパを放浪
窃盗や乞食、男娼、わいせつ、麻薬密売といった犯罪を繰り返し
幾度も投獄される。
42年、刑務所内で初めての詩集『死刑囚』を書き出版。
44年、文芸誌「ラルバレート」に小説『花のノートルダム』の抜粋が掲載される。
同年、終身禁固刑の求刑を前に
ジュネを高く評価するジャン・コクトーらが介入し、自由となる。
その後
コクトーやジャン=ポール・サルトルらの請願により
大統領の恩赦を獲得する。


二人が冒した罪は許せない事ですが
二人が何故罪を犯したのか
それは貧しさ
社会的責任があったのだと
支援する人々は考えたのだと思います

永山則夫は網走番外地に8人兄弟の7番目の子として生まれます
父親は腕の良いリンゴの剪定師だったそうですが
博打に溺れ家庭は崩壊
則夫が5歳の時母親は青森の実家に逃避
子供達全員の旅費を工面できず
則夫たち4人の子を残したままの家出だったそうです
残された4人は魚を拾ったりして極貧の生計を立て
則夫は兄弟たちからも虐待を受けていたそうです
舞台にたびたび登場する
長姉は優しく母親代わりを務めていたのですが
長姉は婚約破棄や堕胎から心を病み
精神病院に入っていたそうです
舞台にたびたび登場する
彼女はたった一人の
心許せる人だったのかもしれません
翌年
見かねた隣人が福祉事務に連絡し
4人の子供達は母親に引き取られます
その後
母親は行商をしながら子供達を育てますが
則夫は中学時代に何度も家出をします
兄弟や学校でのいじめがきつかったようです
アルバイトでお金をため
自転車を買って福島まで行ったのですが
警察に捕まり送り返されていしまいます
劇中
自転車で逃走する則夫
仲間たちが自転車を持ち上げ
ともに歌う場面では
涙が溢れました

この作品は
死刑囚永山を断罪するのではなく
誰の中にもある孤独に共感を求め
人間の哀しみを描いたと・・・

永山則夫よ、この芝居は君という人間を少しでも伝えられただろうか?
過酷過ぎる人生を送った君の純真と矛盾を
すこしでも表現できただろうか?

(大竹野正典2005年上演当時のコメントより)

大竹野正典
今年没後10年
48才という若さで亡くなってしまった
加藤文太郎を描いた『山の声』に続いての
個人的にはまだ2作品しか観てはいませんが
大竹野正典は
を描く作家だと思いました

今年一番の収穫は
大竹野作品に出会えたことかもしれません


 

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