『治天ノ君』 
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観劇記 あまご 
2019年10月03日 
 
劇団チョコレートケーキ 第三十一回公演
脚本:古川健 演出:日澤雄介
東京芸術劇場



激動の明治・昭和に挟まれた『大正時代』。
そこに君臨していた男の記憶は現代からは既に遠い。
暗君であったと語られる悲劇の帝王、大正天皇嘉仁。
しかし、その僅かな足跡は、
人間らしい苦悩と喜びの交じり合った生涯が確かにそこにあったことを物語る。
明治天皇の唯一の皇子でありながら、家族的な愛情に恵まれなかった少年時代。
父との軋轢を乗り越え、自我を確立した皇太子時代。
そして帝王としてあまりに寂しいその引退とその死。
今や語られることのない、忘れられた天皇のその人生、その愛とは?

チラシから



大正という時代は語られることが少ない
ヨーロッパに追いつけ追い越せと
走り続けた明治の時代
即位した嘉仁(よしひと)は大隈に語る
その時代は終わった・・・と
我々はもう少し
周りの景色を楽しみながら
お互いの体調を気遣い
ゆっくり進んでも良いのではないだろうか?


しかし
大正3年第一次世界大戦が始まり
大隈は参戦に消極的な嘉仁天皇を説き伏せて
参戦
中国におけるドイツの権利を奪い取り
列強の一員となる

皇后節子は語る
私の心配していた
天皇としての激務は夫の体を苛んだ
それでも大正の始め数年間は平然と公務をこなし
体調の悪化と戦いながら
精一杯天皇の在り方を変える努力をしていたのだ
大正七年 シベリヤ出兵・米騒動 
この頃より体調は急な坂を転がるように悪化していく
病名は髄膜炎
記憶や言語にも乱れが現われ
歩行や日常の動作にも少しずつ不自由になっていった
大正十年十一月二十五日 裕仁が摂政に就任
翌年 関東大震災
大正十四年 治安維持法・普通選挙法公布
大正十五年十二月 大正天皇嘉仁 崩御

内大臣牧野
裕仁天皇は当初は嘉仁の柔和路線を継承していたが
第一次世界大戦の中で
没落していった列国の皇帝たち
ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国
ロシア帝国、トルコ帝国
これらの廃位された歴史ある強国の皇帝たちを目の当たりにし
帝とは臣民に畏れられ大きな器でないと国は保てないと
明治大帝の正さを思い知ったと語る

大正という時代は一休みにすぎなかったのか
一休みどころか
芽生え始めた浪漫や人間としての誇りを
たたきつぶし
富国強兵への道へと驀進していった

大正天皇嘉仁や皇后節子
そして
嘉仁の教育係であった有栖川宮威仁には
人間らしさがあった
そこには藩閥政府の子弟たちと異なり
ヨーロッパにおける近代自我を学んでいたことが根底にあった
ロマン主義は自我の確立と思想の自由を求めていた
藩閥政府が恐れていたのは
自我の確立
つまり民主主義だったのだと思う
大杉栄夫妻が殺され
多くの朝鮮や中国からやってきた労働者が殺された
大正という時代は
希望が芽生えそして叩き潰されるという
混沌とした時代だったともいえる

『治天ノ君』はこの混沌を
あっと驚くような視点から
見事に描いた作品だ

亡霊のように現れる明治天皇は嘉仁に
「臣民の前では空であれ」
「情を捨てろ帝になれ」

という
しかし嘉仁は即位しても
人として
民との関わり合いを求め
妻や子供達を愛した

この芝居は暗黒の時代に生きた
封殺された
私たちが知ることがなかった嘉仁を見事に描き切った作品だ
嘉仁のお后である節子も優しさに溢れ
嬉しかった

人は空であってはならない
怒り・喜び・空しさ・希望
それがなんであるかを想いながら生きてゆく
芝居は教えてくれました
見応えのある芝居でした
 
大正天皇嘉仁
貞明皇后節子
明治天皇睦仁
昭和天皇裕仁
有栖川宮威仁
原 敬
牧野伸顕
大隈重信
四竈孝輔
・・・西尾友樹(劇団チョコレートケーキ)
・・・松本紀保
・・・谷仲恵輔(JACROW)
・・・浅井伸治(劇団チョコレートケーキ)
・・・菊池 豪(Peachboys)
・・・青木シシャモ(タテヨコ企画)
・・・吉田テツタ
・・・佐瀬弘幸(SASENCOMMUN)
・・・岡本 篤(劇団チョコレートケーキ)

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