『うかうか三十、ちょろちょろ四十』 
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観劇記 あまご 
2020年10月23日 
 
神戸演劇鑑賞会10月例会(第684回)
人形劇団プーク
第2部
作:井上ひさし
演出:井上幸子

井上ひさしの人形劇といえば
「ひょっこりひょうたん島」を思い出します。
私がまだ少年の頃でした。
この作品は「ひょっこりひょうたん島」の6年前に書かれていたそうです。
芝居が終わった後
井上ひさしファンのTさんから
この作品が井上ひさしの最初の戯曲だと聞いてちょっと驚きました。
井上ひさし24歳の時の作品だそうです。



殿様が村の娘に恋してふられ
大雨大風の中を彷徨うことで身も心もずたずたになり九年間も寝たきりとなって
起き上がったときは「うかうか三十」。

恋した村の娘は好きだった大工と結婚して娘がいましたが
大工の夫は結婚して子供が授かるとすぐに病の床に臥せてしまいました。
そこに現れたのは
長崎で修行して蘭学医となった殿様と年取った侍医
二人の診察の結果は
病はすでに治っているという
村の医者の診断は間違っていると・・・夫は喜び舞い上がります。
喜びは束の間
家来が現れてどんでん返し
殿様はでたらめな診察をして病人を喜ばせ
結果的には殿様の思いとは裏腹に病人をどん底に突き落としてしまうという
実に残酷な展開となってしまいます。
井上ひさしさんのことだから
もう一度どんでん返しがあると美しい桜の木に祈りながら舞台を観ていましたが
それから九年
「ちょろちょろ四十」の頃
殿様は桜の木の上に現れて
そこに現れた村の娘の娘にまた恋をしてまたふられてしまいます。
再度
二十年前と同じように雨が降りだしてくるのです。
期待したどんでん返しはありませんでした。
民話調で一見ぬくもりに包まれた舞台でしたが
不思議な毒のようなものが潜んでいるように感じました。
後年の作品とは違った不気味さがあります。
しかし
娘と娘の娘の屈託のない明るさ
一人でも生きて行けるという力強さに
殿様と違って生きることの力強さを感じました。
上に立つ人たちにはこの世の中は疑心暗鬼な世界なのでしょう。
寝たふりをするか
懸命に忘れようとするしかありません。
毎日をおびえながら生きている昇りつめた上の人たちと違い
庶民にはまだ見ぬ明日という希望があります。
なかなか満たせぬ夢のような希望ですが
幸せを願う庶民の気持ちがこの芝居には込められているように感じました。
美しい桜の大木の下で繰り広げられ
人形と操る人との微妙な動きが観客を不思議な世界に引き込んでゆきます。
演じている
演じられているという
見る側の客観視した見方があり
また感情が同化してゆくような気持ちにもなり
不思議な揺らぎを覚えました。
カーテンコールで
人形とともに現れた役者さんの生の声を聞いたとき
頬に滴るぬくもりを感じました。

今月の例会は第1部と2部があり
第一部は現代版・イソップ
「約束・・・」
原作:田辺聖子
この芝居はちょっとわかりにくかった
我が家には
イソップ物語の絵本がありましたから
また読んでみます
 

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