『大麦入りのチキンスープ』

観劇記 あまご 

          作  :アーノルド・ウエスカー
          訳  :木村光一
          演出:入江洋介 
          東京演劇アンサンブル ブレヒトの芝居小屋
         



 ずいぶん昔になりましたが
ウエスカーの『調理場』
という芝居に
衝撃的な感動を受けたことを思い出します。
大きなレストランで働く大勢のコックと
ウエイトレス達の凄まじい労働と人間疎外

絶望的な希求

葛藤
暗転した射光の中に
機械仕掛けの人形のように
猛烈な勢いで働くコック達の姿に絶句したことを・・・・
そのウエスカーの芝居が
しかも3部作の内「大麦入りのチキンスープ」と
「僕はエルサレムのことを話しているのだ」の2作品が
連続上演されたのです。
ウエスカーの作品はもう観る機会はないと
何故か
すっかり諦め忘れかけていたので
青春の夢を見るような気持ちで
東京まで行って観て来ました。
『大麦入りのチキンスープ』は1936年のスペイン内戦のさなか
ロンドンのイースト・エンドで暮らす
サラ・カーン一家のファシスト党のデモに対する抗争の場面から始まります。
ロンドンではファシストは敗北するのですが
スペインでは世界で初めて誕生した人民戦線政府に対する
フランコ将軍の軍事クーデターにより
内戦状態になります。
サラ・カーン(名瀬遥子)の娘アダ(永野愛理)の恋人デイブ(坂本勇樹)は
義勇軍としてスペイン戦争に参加します。
スペイン内戦はヘミングウエイの『誰がために鐘は鳴る』や
ピカソの「ゲルニカ」など
反ファシストとの戦いを人民戦線側から描いた作品が有名です。
しかし
人民戦線側にも対立があり
つまりソ連スターリン派による義勇軍の虐殺が
人民戦線の足並みを乱し
フランコの独裁を許してしまったとも言われています。
1975年フランコの死去によりスペインは議会制民主主義による立憲君主制に移行
その年は私にとって感動的な年でした。
しかし
1975年の私は知らなかつたスペイン内戦の実態を。
ソ連という社会主義国家による国際義勇軍の虐殺は
サラ・カーン一家に大きな暗い重石となって行きます。
社会主義の幻想・・・
なぜ
ソ連はそのような行為を行ったのか
今では明らかなことですが
社会主義国家の存在をあまりに楽観視していたように思えるのです。
社会主義の究極は国家のない社会の実現なのですが
ソ連は社会主義を守るためにソ連という国家を強くした。
これがスペイン内戦の悲劇でもあり
ハンガリー事件でもあり
今の中国でもあるのでしょう。
その対極にあるアメリカや日本も
ソ連や中国と同じように国家を全面に押し立てて
様々な対立と貧困を生み出していますから
人類の抗争の原因は権力闘争です。
その権力の最高位置にあるのが国家とすれば
世界で起きている争いを無くすには国家の影響を出来るだけ少なくする
一人ひとりが権力を排し
自覚的に主体的に生きる事だと思います。
サラの想いもそこにあるのでしょうね。

余談ですが
政治家なども陪審員制度のように民間から無作為に選出することになれば
政治と生活が密着し
自覚的な自治が発達するかもしれません。

「なんとかしようとしなければ、あんたは死ぬだけよ。」

サラが息子ロニー(篠原祐哉)に向かってさ叫ぶ最後の言葉は
もっと「しっかり生きよ!」と
少し挫折感のある私へのメッセージと受け取りました。
スペイン内戦で社会主義への希望を失った娘夫婦の物語は
『僕はエルサレムのことを話しているのだ』と
夜の公演に
3部作の一つで
息子ロニーの物語『根っこ』は
来年4月に新地人会
(演出:鵜山仁、出演:占部房子・金内喜久夫・渡辺エリ他)
により上演されます。
楽しみです。



本箱に在ったウエスカーの本

ちなみに
大麦入りのチキンスープとは
芝居のなかでチキンスープを飲む場面があり
ユダヤ人にとって非常に馴染み深い家庭料理で
「母の味」の代表とされ
病気を患った時にはチキンスープを食べる
というように
古くからの民間療法として有名で
俗に「ユダヤのペニシリン」とも呼ばれているそうです。


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