『ガリレイの生涯』

観劇記 あまご 

          作 :ベルトルト・ブレヒト   
          訳 :岩淵達治 
           演出:高瀬久雄 
                                            2013年6月23日
                                            文学座
                                            あうるすぽっと 
         

パンフレットより


 文学座2014カレンダーより

 文学座の「ガリレイの生涯」とても楽しみにしていました。楽しみという言い方は少し変ですが、福島の事故のあと科学者や技術者が今の状況とどう関わって行くのか、関わって行かねばならないか、その問いに対するヒントがあるように思えたからです。
 福島の事故の時、残された技術者のことを考えました。この事故の責任は政府や財界など上の方にあるのですが、一部の責任は彼らにもあり、事故を防ぐのも、終結させるのも彼らの力が必要であること。そして、事故のあと、定年を迎える直前の島根原発の技術者がその使命感から応援に入ったニュースを聞いたとき、涙ぐみながらも不思議な昂揚感と共に、技術や科学に対する使命について、考えなければと思うようになっていたのです。
 現代の科学や技術は、巨大な組織のなかから検証されることなく垂れ流されているようにも思えるのです。科学や技術は誰のためにあるのか、ガリレイが教会に屈服したことにより、ガリレイの元から去り、永い年月の後、年老いたガリレイの元に別れの挨拶に来た、かっての愛弟子のアンドレアとの再会のシーンで語ります。「君たちはなんのために研究をしているのだ? 私は、科学の唯一の目的は、この苦しみに満ちた人間の生活を楽にすることだと考える。」そして、科学者が利益のみを求める権力者に屈することになれば、科学の発展は人類の進歩から遠ざかって行き、人類を不幸に落とし込むことになると・・・ブレヒトが広島・長崎への原爆投下を知り、書き直したといわれる「ガリレイの生涯」は、まさに、3.11福島の事故、老朽化したトンネルや橋の崩壊など、科学と技術が誰のためになければならないかを警告していたと、改めて思い知らされました。
     
               文学座2014カレンダーより

 舞台は、とてもシンプルで、船の舵(ラダー)を模したようなモニュメントがあり、それが何であるか、リスボンの「発見のモニュメント(船の舵)」に似せて、真理の方向を探っているのか、ガリレイの望遠鏡の架台なのか、日時計なのか、最初から最後まで舞台と共に回り続けているのが印象的でした。
 ガリレイ役は石田圭祐さん、自分の目で確かめ、真理を追究する、そのための時間が欲しい、頑固で老獪な教会の人たちの中にあって、純粋で子供のような無邪気さを持ったガリレイ、人間的な弱さを隠さず正直に、真実は密かに、理想を求めて止まないガリレイ、永い人生において決して嘘ではない心模様の移り変わりがよく伝わりました。地球儀の中に隠された「新科学対話」の写しはアンドレア(亀田佳明)に渡され、イタリヤ国境を越えて神の手から人類の手に・・・ラストは科学が人のために役立つ日が来ることを期待するような、感動的で美しい舞台でした。神戸公演が上演されること、期待すると同時に、文学座のブレヒト劇、是非シリーズとして、上演して欲しいと思います。


   三木敏彦 :ベェネツィア総督他・枢機卿
   大滝寛   :ウルバヌス8世・
   中村彰男 :レンズ工・年取った枢機卿 
   清水明彦 :異端審問総監・哲学者
   沢田冬樹 :評議員・ブレヒト
   山本道子 :アンドレアの母
   鈴木亜希子:老婆
   牧野紗也子:ガリレイの娘
   




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