『ヘッダ・ガーブラー あまごの観劇記』

観劇記 あまご 
2014年11月30日 
日暮里 d-倉庫 
          作 : ヘンリック・イプセン 
           演出・ 上演台本:木島 恭

                   
 俳優座の有馬理恵さんから『ヘッダ・ガーブラー』の案内が届いて、イプセン芝居、久しぶりだから観に行って来ました。有名な作品ですが、初めてです。案内状によると、今回は、舞台を1972年の日本・信州に移し、1970年代の日本の社会問題(日米安保条約、公害、環境問題、高速道路、新幹線建設)を根底に、人々の心の葛藤を描いた心理サスペンス劇だそうです。
 イプセンの芝居に『民衆の敵』という、公害問題を描いた作品があります。そんな感じの芝居かな?と思っていたのですが、ちょっと違いました。悩みつつ時代に乗り切れない男と女、時代の波に流されながらもひたむきに生きる男と女、二組の男と女が、お互いの愛の形を探りながらの新しい人生の始まりと終わりを演ずるという濃厚な芝居でした。
 1970年代は60年安保に続いての挫折と敗北があっても、革新的な知事の誕生や、公害運動の高まり、世界的には73年、ベトナムからのアメリカ軍の撤退、75年終結、同年スペインの独裁者フランコの死にともなう民主主義へ移行等、若かった僕たちにはまだ未来が信じられる時代でした。芝居に中に出てくる1972年の「あさま山荘事件」の様に、学生運動は民意から離れ、学生運動は衰退し、80年代に入ると労働運動も衰退するなど、70年代は大きな歴史の転換期だったように思います。
 1974年、神戸労演20周年記念の講演の中で、木下順二さんが「70年代の日本はどこに向かっているのか見えにくい時代だ」と語られたのを思い出します。夕鶴のつうが、「与ひょう」の元から飛び立ち「つうはどこに向かって飛んでゆくのか・・・」そんな想いが感じられる時代だったようです。未熟な私にはとてもそんな実感はありませんでした。
イプセンの原作が書かれたのは、今から124年前、1890年(明治23年)、日本では第1回帝国議会が開かれ、足尾銅山鉱毒事件が起きていました。世界の列強による植民地の争奪戦の真最中です。歴史を振り返ることによって、今が鮮明に見えてくるような気がします。さて、あらすじですが、勝田演劇事務所ブログから紹介します。


 学者の哲夫と結婚して信州は松本に豪奢な住まいを手に入れた操は、 哲夫の叔母百合子や、代々に仕えてきた女中の芙美子となじまないながらも、なんとか生活を共にしようとしていた。そこへ学生時代の仲間の恵理子が来て、運動に身を投じたまま別れていった幼馴染の英治が、論文を書いて話題になり、今この松本にいると知らせる。 突然行方不明になって心配だと・・・。操と英治にはある過去があった。 操は何かと世話になっている弁護士の黒崎に相談する。 時代の波に乗り切れずただ押し流されてしまった人々の行く末は・・・。
 芝居を見終ってしばらく経ちました。理解できないことがたくさんあったのでもう一度原作(訳:毛利三彌)を読んでみました。原作では、環境問題を研究する学者の哲夫や英治は文化史を研究する学者です。操や英治の葛藤は学生運動の挫折からではなく、人生そのものの挫折、何度か読み返しつつ、舞台の場面を思い出しながら、ぼんやりと浮かんでくるものがありました。思い出しながら、正確ではないかもしれませんが、記録に留めておきたいと思います。



登場する人物の紹介(〇〇〇 )は原作名。
最初に登場するのは優しそうな感じの上品な年配のご婦人(哲夫の叔母さん)と哲夫の小さい時から面倒を見ていた女中さん。やがて哲夫が現われて・・・

 哲夫(テスマン)は、真面目でいい人だけどどこか物足りない、ノンポリのようだけど環境問題に取り組む若き学者。地道な研究が実を結び故郷の大学教授への推薦を受けて前途洋々。元華族の娘・操と結婚し、研究資料の収集を兼ねた数か月にも及ぶ新婚旅行から帰ってきた哲夫は幸せの絶頂期。二人の新居は叔母の援助によって購入したお金持ちの別荘です。

 英治(エイレルト)は、哲夫の学生時代の友人、知的な閃きとすぐれた才能があるのだけど学生運動に挫折してからは自己破滅的な生活を送っていた。信州の田舎町の多分大町だったような、そこの村長の子供たちの家庭教師となり、村長の妻、恵理子の助けを借りて、これまでの自堕落な生活から抜け出し、公害問題に関する本を書き上げ評判となる。そして、その続編を書き上げた後、何故か原稿を持って恵理子の元を去る。哲夫の新居を訪れた英治はかっての同志(恋人)操の挑発に乗り、酔っぱらって、弁護士黒崎邸で開かれた哲夫の歓迎パーテーで自分を見失い、昔の仲間「歌う女」のいる酒場に向かう途中で原稿を落としてしまう。原稿を亡くした英治は盗まれたと思い込み大暴れ、警察が駆けつけて、留置場泊、英治の社会復帰の道は途絶えてしまったのです。実は、その原稿は哲夫が拾い、翌朝英治に渡すつもりでいたのです・・・翌朝、警察から釈放された英治は、哲夫を訪ねますが、哲夫は叔母の病気で不在、原稿は操が預かっていたに渡さず、昔、英治と別れる際に撃ち殺そうとしたピストルを渡したのでした。そして、「歌う女」の部屋で自殺したのか、間違って自爆したのか、あるいは殺されてしまったのか。

 弁護士黒崎(ブラック判事)、若い頃は確か操の父の書生だったとか、操と親しく、今は裕福な独身で、哲夫たちの新居の庭から出入りできるほど操と親しい関係、絶妙な三角関係は二人の緊張感としてお互い望むところかもしれません。英治が死んだあと、操にピストルの出所についての話をします。見かけは物腰柔らかく紳士風だけど原作名のようにブラックな感じが滲みます。上手い役者さんだと思いました。

                

 恵理子は昔の哲夫の淡い恋人で、操の年下の学友、いつも操に髪を引っ張られていたのは、みんなに愛され美しい髪の毛だったから・・・その頃から操の嫉妬の対象になっていたのかもしれません。卒業後、村長の子供たちの家庭教師となり、病弱な村長の妻に変わり家事も切り盛りするなど有能な女性、村長の妻が亡くなると乞われて妻となり、子育てに追われる愛のない暮らし、「私は安上がりの家政婦」と操に語る。しかし、いつしか英治が子供たちの家庭教師として現れ、二人の生き方は一変します。原稿を引き裂いたという英治に「あの原稿は私たち二人の子供のような存在だった」と叫ぶ。英治の死、そして原稿を復活させるために、今度は哲夫と共同作業する恵理子は逞しい、人形の家を出て行った「その後のノラ」はこのように生きたかったのでしょうか。

 操(ヘッダ・ガーブラー)は、戦前の華族のお嬢様で美しく皆さんの憧れの的、英治と共に学生運動に関わり、理由は定かではないが挫折の果て英治を父の形見のピストルで撃ち殺そうとしたことがあるという。それ以来、生きる目的を失い、暇で、退屈で何をしたらいいのかわからない、人をからかうことだけが楽しみ?女優さんなら一度は演じてみたい思うほどの不思議な魅力を持った女性。そんな彼女が第二幕の最後に語る台詞「私は一生に一度だけ、人間の運命を左右する力を持ちたいの」それも愛する男に・・・そして第三幕、恵理子と英治の別れの後に、英治にピストルを手渡し「美しくね」という。英治が去ったあと、ストーブの扉を開けて、原稿の入った包みを開ける。最初の一枚をストーブに投げ入れて、「さあ、あなたの子供を焼いてやる、ちぢれ毛さん!あなたと英治の子供、さあ、焼いてやる、子供を焼いてやる」   暗転
 第四幕、亡き英治の口述した恵理子のメモを元に原稿を再現している哲夫と恵理子、二人にはこの作業をやり遂げることが大きな喜び、他のことは眼に入らない。ぽつんと残された操、忍び寄るブラック、激しい音楽、ピストルの音!
 操は誰にも縛られることのない道を選んだ! これも一つの生き方なのか!
(ブラックが呟く)「しかし、なんてまた、こういうことを、人はしないものだ!」

 感想というより、芝居がどのように展開していくのか、観続けるのが精一杯でした。しかし、上手い役者さん達が小さな空間で(100席ぐらい)で演じる、イプセンの名作を70年代の迷える日本の舞台に置き換えて、北欧の町を信州に置き換えて、現代に再現!理屈無きほろ苦い青春を思い出しました。
 配役
  寺川 操(ヘッダ) 村松恭子「ワンダープロ」
  寺川 哲夫(テスマン) 大宜見輝彦「フリー」
  寺川 百合子(おばさん) 天野眞由美「俳優座」
  川村 恵理子(エルヴァステッド夫人)有馬理恵「俳優座」
  黒崎 基一郎(ブラック判事) 石鍋多加史「サンビーム」
  礼部 英治(エイレルト) 成田 浬「フリー」
  佐藤芙美子(ベルテ) 千葉綾乃「Pカンパニー」
参考
 イプセン戯曲選集 現代劇全作品』毛利三彌 訳
 笹部博司の演劇コレクション 
 


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