『樫の木坂四姉妹』

観劇記 あまご 

         
         
 作  : 堀江安夫  
         演出: 袋 正    
               劇団俳優座   
               倉敷演劇鑑賞会
倉敷に「樫の木坂四姉妹」観に行ってきました。
大塚道子さんが亡くなって
二年前の神戸例会から配役は少し変わりました
長女しをは大塚道子さんから中村たつさんに
若かりし頃のしをは大庭藍さんから若井なおみさんに
双子の三女まりと四女ゆめも
まり:KiNoMiさんから齋藤奈々江さんへ
ゆめ:桂ゆめさんから森根三和さんに変わりました。

父 駒吉:河原崎次郎
母 せい:平田朝音(ともね)
兄 幸雄:脇田康弘
若き頃の次女 ひかる:小澤英惠
カメラマン洲崎:武正忠明
そして次女岩崎加根子さんと四女川口敦子さんも二年前と同じです。

Kさんは新しい役者陣でもう一度観たいからと
Yさんは若井さんに会うために
私は事情があって神戸公演を観れなかつたので・・・
お二人に同行させてもらいました。
倉敷市芸文館
先月もこのホールで「櫻の森の満開の下」を見ましたから
道案内は私です。



倉敷市芸文館は倉敷駅から15分ほどですが
上の地図に緑の線で記した経路
景観地区の堀に沿って歩くと楽しいです。

で芝居ですが
戦争が始まる前と
それから半世紀過ぎた時が交差する
長崎が舞台です。
あらすじは劇団のHPから

「わたし達の毎日には一度だって八月九日が消えたことがなかと―」
 2000年
長崎港を一望する古い石畳の坂道を
土地の人々は樫の木坂と呼んでいる。
山の斜面を切り拓いただらだら坂の中腹にある葦葉家には
被爆者である老三姉妹の撮り続けているカメラマンの洲崎が通っていた。
 ある時、洲崎は部屋のピアノについて末妹に尋ねる。
それは彼女の二卵性双生児の姉の供養のために買ったものだった。
 あれから五十五年…ピアノの調べは
まだ若かりし四姉妹が暮らしていた1944年へと誘っていく。
 両親と兄
四姉妹の七人家族のあたたかく穏やかな日々が
いつまでも続くように思われていたあの頃…。
戦争、兄の死、姉(妹)の死、被爆…。
戦争が終わっても残された三姉妹は常に「戦争」と向き合わされていた。




この芝居
家族の幸せ
それを妨げる大きな力について
考えさせられます。

戦争や未開な科学や貧困など
家族の幸せを奪う大きな力
それを押し返す力も家族の幸せの中にあることを・・・

最近思うのですが
人間の関係はだんだんと希薄になって行くような気がします。
震災から19年経ちました。
あの頃はとても苦労しましたけれど
喧嘩をしながらもともに助け合い
家族の絆と家族間の絆が強く結ばれていたように思います。
やがて
子供たちも成長し家族の元を離れ
家族同士の絆も薄れ始めてきました。
こうした雰囲気は19年目の我々神戸の人間や
あれから3年経った福島の人達だけのものだけではないようです。
そうしたなかで
おかしな動きも出てきています。
憲法に「家族を守る義務」を盛り込もうとする動きです。
「家族を守る」は「日本を守る」に
戦前と同様、上からの目線
そして
隣国との紛争の中で拡大するであろう
軍事費の増強・・・
「家族を守る」=「日本を守る」
やがて
「家族を崩壊」させることに繋がるのではと・・・
家族同士の絆が薄れ始めてきたこの頃
上からの掛け声でなく
守るべきものは何か
兄と三女を失った樫の木坂の老いた姉妹の叫びが
青春の怒りと悲しみと喜びと混じり合い
大きな樫の木の中に吸い込まれて行くような
不思議な感動を覚えるのでした。

終演後
楽屋を訪ねて
中村たつさん
岩崎加根子さん
川口敦子さん
そして若手の皆さんにご挨拶

帰り道は行きと同じ景観地区
大原美術館前を通り
白鳥の泳ぐお堀で記念撮影

来しなに予約しておいた郷土料理「浜吉」に
いつもと違い
素敵な女優さんが加わると
おしゃべりもお酒も進みます
オコゼの刺身にキモそして唐揚げと瀬戸内の珍味
華やかな倉敷観劇旅行でした。
 


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