『マクベス』 
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観劇記 あまご 
2020年2月23日 
京都市呉竹文化センター 
劇団東演公演
作:シェークスピア
翻案・演出:ヴェリヤコーヴィッチ
翻訳:佐藤史郎
演出補:レウシン

 神戸の例会日は出張が重なり
京都労演の呉竹文化センターで見ることができました。
他の鑑賞会・労演でも振り替えて見られることはとてもありがたいことです。
呉竹文化センターは客席定員600名
舞台はプロセニアム間口15m×奥行き11mと
芝居には快適なホールです。
 これまでマクベスの舞台は何本か見ましたが
さすが
ベリャコーヴィチ演出・美術、レウシン演出補の舞台
胸の鼓動が高鳴っていくような見事な舞台でした。
魔女の親分と4人の魔女たちの身体表現
千手観音のような動きや波打つ響き連なりは実にシアトリカルな舞台です。
ベリヤコーヴィッチの師匠メイエルホリドは
当時のリアリズム演劇から離脱して近代以前の芝居を探求しました。
中国の京劇や日本の歌舞伎
そして
エジブトの壁画のような身体性・集団性の復権を目指した演劇を求めていたのです。
今回のマクベスの役者さんたちの動きは
まさにメイエルホリドが求めたエジブト壁画のようでした。



メイエルホリドの師匠はリアリズム演劇の先駆けであるスタニスラフスキーですが
師匠とは全く別な演劇を求めていたのです。
二人は演劇に対する表現方法は異なっても
演劇を通じての個性的な関係を大切にしていました。
メイエルホリドはスタニスラフスキーを尊敬し
スタニスラフスキーはメイエルホリドを後継者として庇っていましたが
スタニスラフスキーの死後
支えを失ったメイエルホリドは
スターリンが差し向けた秘密警察によって
妻とともに殺害されてしまいます。
マクベスが放った刺客と重なります。
一方
マクベスの芝居そのものにリアリズム性を感じるのは、
ダンカン王を殺害したあと門を叩く音
マクベスはその音に怯えながら夫人とともに退場します。
しかし
門をたたく音はやみません
とんとんとん・とんとんとん
音はますます激しくなり
やがて
静寂を破る門番の大きな声
この場面が私は最も好きです。
門番のセリフがいいですね。
シェ−クスピアの作品には道化がよく出てきます。
庶民の気持ちを表しています。
門番はまさに道化で皮肉屋さんです。
「手前、豊作で作物の値下がりを苦にして首くくった百姓だな・・・」
とても面白い言い回しだと思います。
ただ
この辺りの緊張感があまり感じられなかったのは残念でした。
同じサークルのK君が言うように
今回のマクベスは身体性を強く印象付けるために
セリフの重さが犠牲になっているのではないかと
私もそんな感じがしました。
マクベスの第5幕第5場の名セリフは圧巻です。
Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow, 
消えろ、消えろ、つかの間の燈火!
人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ。


今回の舞台は
バンクォーの子孫たちの亡霊8人が現れなかつたように思うのですが
実は
バンクォーの子孫とは誰なのだろうと
気になっていたので調べてみました。
バンクォーの子孫がスコットランドの王になるのは
マクベスが殺されてから300年以上経っているのです。
バンクォーが殺され
息子のフリーアンスも殺され
孫のウォルターは生き残り。
魔女の予言通り彼の子孫がスコットランドの王(スチュアート朝)となります。
詳しくはマクベスのその後を読んでください。
シェクスピアの芝居は歴史的側面から見ても面白いし
時の流れに逆らいながらも絶えずこれまでの作品を超えようと果敢な挑戦があり
何度見ても飽きることはありません。
京都公演は「ブラボー」コールが飛び交いました。
私たちは興奮の渦に巻き込まれながら会場を後にしました。

マクベスのその後
 マクベス :能登剛
マクベス夫人   :奥山美代子
バンクォー :豊泉由樹緒
フリーアンス :椎名啓介
ダンカン国王 :島英臣(俳優座)
マルコム :木野雄大
門番 :星野真広
ロス :奥山清
マクダフ :南保大樹
マクダフ婦人 :岸並万里
ヘカデ :M・インチン(ユーゴザパト劇場)
魔女 :E・オフチンイコス(ユーゴザパト劇場)
    :A・ナザーロフ(ユーゴザパト劇場)
:清川翔三
:藤本稜太(フリー)

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