『もし、終電車に乗り遅れたら・・・』

観劇記 あまご 
2013年11月21日(木) 
俳優座プロデュースNo.92
俳優座劇場

          作 :アレクサンドラ・ヴァムピーロフ   
          訳 :宮澤俊一・五月女道子 
           演出:菊池 准 
          

         
 ロシアの現代作家の芝居を見るのは久々です。アルクセイ・アルブーゾフの「イルクーツク物語」が1989年7月に神戸で再演されて以来、ロシアの現代劇との出会いはなくなってしまいました。1989年といえばソビエト連邦が崩壊する2年前です。60〜80年代にたくさん上演されたアルブーゾフの芝居はソビエト連邦の崩壊とともに、社会主義の幻想として消え去ったかのようです。そして、日本は激しい競争社会に突入し、ロシアは石油価格の高騰の波に乗り急激な経済成長の中で大富豪を生み、共に格差社会に突入しました。日本のバブル崩壊もソビエト連邦の崩壊と同じ時期でした。格差社会は、家族や地方をバラバラにしてしまったように思います。

 かって、ソ連の社会主義に対して憧れを抱いた時期の反映でもあるかのように、社会主義建設の青春像を描いたアルブーゾフの「イルクーツク物語」「ターニャ」、「私のかわいそうなマラート」「父と子」、これら作品は今も私の本箱に在ります。今となっては懐かしい時代ですが、どこかこうした時代を懐かしむのも、私だけではなかったようです。パンプレットによると、ロシアでは60〜70年代に活躍した現代作家達が再度注目されてきているそうです。なかでもアレクサンドル・ヴァムピーロフ(1937〜1972)はその筆頭で、「もしも終電車に乗り遅れたら・・」の原題である『長男』は特に人気の高い作品であると書かれていました。

 社会主義が良いか悪いか、資本主義が良いか悪いか、それ以前に、格差の少ない暮らしが、皆が中流だと感じたあの時代が日本でもロシアでも懐かしいのでは、と近ごろは思うのです。
芝居を観終わってからしばらく時間が経ちましたので、記憶も薄れてきました。
 芝居のあらすじは

 女の子をナンパしようと、電車に乗って町に出かけた若者二人(ブスイギンとシーリワ)、結局はふられて、行くところなし、寒い冬のロシアですから、何処かに泊めてもらおうと、片っ端からドアをノックするのですが誰も取り合ってくれません。やっと玄関まで入れてもらった家でも、息子(ワーセンカ)に泥棒と疑われ、シーリワはとっさに「この男は君の兄貴だよ!」事態はあらぬ方向に・・・
 親父(サラファーノフ)は楽団を首になり、そのことを家族にひた隠し、婚約者のいる娘(ニーナ)は新しい生活のために家を出て行く寸前、息子も隣に住む美女(ナターシャ)に相手されず家出寸前、崩壊しかかった家族にのしかかった突然の出来事。

 やがて、親父は昔暮らした女のことを思いだし、その思い出にひたり始め幸せそう。婚約者のいるニーナも素敵な兄が出来て嬉しそう、ときどき想うのは、もしも兄でなかったら・・・
ブスイギンもニーナに惹かれ、遂に感情を抑えきれず真実を告白する。それは新たな愛の出発でした。
 崩壊寸前の家族とテキトーな若者が絡み合った絶妙な喜劇!本当にこんなことがあり得るのか、何処かほのぼのとした喜劇、殺伐とした崩壊寸前の家族の関係が再び繋がって行く、見失っていたものが見つかったような嬉しい芝居でした。

 作曲を目指しながらまだ1ページしか書けていない音楽家の親父外山さんは仄々としていい味わいがありました。若井さんはくりくりとした表情が魅力的で弾けてましたね。隣の男の里村さんも不思議な存在感がありました。若手も生き生きとしていました。文学座・俳優座・青年座・昴・円・劇団1980の皆さんのアンサンブルがグッド、とても楽しいひとときを過ごすことが出来ました。そして、ロシアの劇作家達はどうしてこんな深くて暖かい作品が書けるのか・・・私には、まだ知らないことが多すぎます。


 
配役
ブスイギン
   シーリワ
サラファーノフ
ワーセンカ
クジーモフ
ニーナ
ナターシャ
娘1
娘2
隣の男
浅野雅博(文学座)
小田伸泰(俳優座)
外山誠二(文学座)
逢笠恵祐(青年座)
岩崎正寛(演劇集団 円)
若井なおみ(俳優座)
米倉紀之子(昴)
林 亜沙子(昴)
娘2 槙乃萌美(昴)
里村孝雄(劇団1980)


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