『根っこ』

観劇記 あまご 

2013.4.21
          作 : アーノルド・ウエスカー  
          訳 : 木村 光一
           演出: 鵜山 仁
          地人会新社 第2回公演 赤坂RED/THEATER
         


“話すってことはね、言葉を使うことだよ。そう、橋と同じ。
  人間は橋を渡ってこちらから あちらへ渡る事が出来る。
  橋を沢山知っていればいる程、いろんな所に行けるじゃないか!!”




 東京観劇ツアーのファイナルは地人会新社第2回公演「根っこ」です。
昨年9月の東京演劇アンサンブルが上演した
「大麦入りのチキンスープ」
「僕はエルサレムのことを話しているのだ」
を見ましたので
長い間待ち続けたウエスカー3部作
念願かないました。

 ウエスカーの作品に初めて出会ったのは
1979.3、文学座:木村光一演出による「調理場」でした。
大きなレストランで働く大勢のコックとウエイトレス達の
凄まじい労働と人間疎外
夢・恋・葛藤
暗転した射光の中に
機械仕掛けの人形のように猛烈な勢いで働くコック達の姿に
絶句したことを・・・・思い出します。

その年の12月には
オズボーンの「怒りを込めてふり返れ」
そして
翌年3月には
ウエスカーの「結婚披露宴」が神戸にやって来ました。
1950年代にイギリスで起きた
「怒れる若者達」の芝居が
数十年を経て
当時は若かった私たちに大きな感動を呼び起こしたのでした。
あれから、ふたたび数十年
その間
長い間
ウエスカーの作品を見ることはありませんでした。
(1988年10月に「青い紙のラブレター」が地人会によって
神戸でも上演されていますが
なぜか見ていません)
 若者たちは
怒れることを忘れ
長い年月の間に
夢を語ることもなく
まるで「調理場」のペーターのように・・・
そして
いつしか
昔の若者は知らぬ間に年を取ってしまったのです。

 3部作が書かれたのは1958〜1960年
日本で初めて上演されたのは
1961年文学座のアトリエで木村光一さんの演出でした。
日本でも安保闘争の激しい戦いがあり
労働者と若者が怒りに燃えた時代でした。
70年安保
安田講堂事件が象徴的です。
大河内一男東大総長は機動隊を導入し
学生を排除しました。
「長い墓標の列」の城崎教授のモデルとも言われていますが
世界平和アピール七人委員会の委員でもあり
リベラルな知識人ですけど
信念を貫き通した河合栄冶郎さんとは違いますね。
70年を境に若者たちの怒りはどこか冷めてしまったような気がします。

 「根っこ」とても熱い芝居でした。
ロンドンで働いている農家の娘ビーティ・ブライアント(占部房子)は
家族たちが住む村に休暇で帰ってきます。
ビーティにはロンドンで知り合ったロニィ・カーンという恋人がおり
家族に会いに来ることになっていました。
ビーティは
姉(七瀬なつみ)
父ブライアント(金内喜久夫)や
母ブライアント夫人(渡辺えり)に
芸術や労働観
家族についての関係など新しい考えを語るのですが
家族たちはさっぱり理解できません。
そもそも
ビーティの語る新しい考えはロニィの受け入れだったのですから…


パンフレットより

 ロニィがやって来る日
ブライアント夫人はたくさんの料理を作り
娘や息子の家族たちを招待し
皆は着飾って
ロニィが現われるのをいまか今かと待ち続けています。
 しかし
ロニィは現れなかつたのです。
代わりに「僕たちの関係はこれ以上発展しないと思う。」
という手紙が届きます。
家族は呆然となりビーティはやけになって弁明し始めます。


「蛙の子は蛙の子。
母さんの言う通り

母さんそっくり。
強情張りで
からっぽで
生きてゆく道具を何も持ってない。
私には根っこがないのよ。
町の人たちと同じーあの無意味な群衆と同じ。」

  「根っこだと?何だいそりゃ、根っこ てのは?
  「根っこ、根っこ、根っこだってば!」

 またしてもロニーの受け売りか
ブライアント夫人の顔は硬直したまま、
家族たちもうんざりしたまま
しかし、ビーティは長い演説の途中で
自分自身の言葉で語り始めていることに気づくのです。

 「ロニィ!
やっと分った
今やっと分かったわ
始めて分かった
今始まったのよ
自分の足ではっきり歩き出せた 
― 私、初めて自分で息をし始めたのよ・・・・」

 ――幕――

 ビーティのモデルはウエスカー夫人
ロニーは「調理場」のペーター、ウエスカー自身なんでしょう。
ウエスカー27歳の時の作品です。
 自分にとっての「根っこと」は?
貧しかったこと?
家族のこと?
仕事?
いろいろありそうでなさそうです。

 「今、自分の足で歩き始めているのか?」
これも怪しそうです。
どこかふらつきながら歩いているような気がしないでもありません。
 青春の時見られなかった
ウエスカー三部作
歳をとってもしまった今でも新鮮な感動を受けました。
見過ごしたものや
やり残したものを探す旅
まだまだ続きそうです。

最後に、
ビーティが自分の言葉に自分自身の変化を感じる表情が一本調子だったのは
そういう演出だったのか
それとも
私が表情の変化を読み取ることが出来なかったのか
ラストの場面はちょっと物足りない感じで終わってしまいました。


初演記録 
 "Chicken soup with barley", 1958 「大麦入りのチキンスープ」
 "Roots", 1959 「根っこ」
 "I'm talking about Jerusalem", 1960 「僕はエルサレムのことを話しているのだ」
 "The kitchen", 1959 「調理場」

日本での初演記録
 大麦入りのチキンスープ 1961年4/22〜29 文学座  演出:関堂一 1964地方公演
 僕はエルサレムのことを話しているのだ1962年2/20〜26 文学座 演出:関堂一 
 調理場 1963年8/16〜30  12/7〜14 文学座 演出:木村光一初演出 地方公演 11/6

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