『肝っ玉おっ母と子供達』 能登演劇堂を訪ねて
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観劇記 あまご 
2017年11月3日 
 
          作:ブレヒト 演出:隆巴 無名塾 

                   
 神戸演劇鑑賞会による
能登演劇堂観劇 tour2017
無名塾公演『肝っ玉おっ母と子たち』
参加しました
男8名女29名 合わせて37名のバスツアーです
三宮を7:30に出発して
渋滞が予想される名神高速を避け
舞鶴若狭道〜北陸道を経由します



8:40 西紀SA
最初の休憩地は丹波篠山「西紀SA」
美味しそうな焼き栗がありました
折角ですから頂きます
6個で確か640円
おねーさんたちにおすそ分けして
ほくほくといただきました



10:18 三方五湖
福井県に入りました
湖全体が若狭湾国定公園の中特別地域として
自然環境の保全が図られているそうで
2005年にラムサール条約の登録湿地になったそうです
工事中のプラントがあって???
今年の夏 青春18きっぷで通り過ぎたところなので
立ち寄れてよかった



12:05 尼御前
北陸自動車道 石川県に入りました
今日はここでお昼休憩です
そばとミニ海鮮の「尼御前定食」
美味しかった!



TURUさんに断崖絶壁があると勧められて



綺麗なお尼さんが居られました
説明版には
その昔
源義経主従が都から逃れて陸奥の国へ向かう途中
この地まで来ましたが従者の中にいた一人の尼が
この先の(歌舞伎勧進帳で有名な)安宅の関の取り締まりが厳しいことを聞き及び
主君の足手まといになる事を憂えて深く意を決し
主君の無事を祈ってこの岩頭から身を投じました。
この尼の名が尼御前といい
それ以来いつしかこの岬を尼御前岬と呼ぶようになったということです。
平成九年十一月吉日

弁慶と義経で有名な「安宅の関」は
ここから10kmほど先の小松に在ります



14:30 能登演劇堂に到着
開演は15:00 間に合いました

舞台のスクリーンにはヨーロッパの地図が映し出されています
肝っ玉一家が彷徨った30年戦争の舞台です
場内は撮影禁止
能登演劇堂のHPから紹介します



開演
舞台奥の扉が開き
上手に紅葉 下手にたき火の炎が燃え
煙と共に冷たい風が客席に押し寄せます
自然と舞台が一体になった素晴らしい劇場です
マクベスの時は本物の馬に乗った騎士たちが現われたそうです
やがて



舞台の奥から
幌馬車を曳いた肝っ玉おっ母一家が現れます
拍手が沸き起こり
ブラボー!と
叫びたくなる一瞬です



この瞬間を観ただけでも
ここに来た甲斐があると思いました
仲代さんが母親役とは?
さほど抵抗感なく
むしろ
母親として子供たちを守る想い
不思議な色っぽさなど
さすがです
舞台の幕間に登場する語り部と歌い手もよかった
見応えのある芝居でした

公演のチラシに仲代さんの想いが書かれていました

長く果てしなく続く戦争の中
幌車を曳いて軍隊に付き従い
戦況を睨み町から町へ行商して稼ぐ女商人・アンナ。
女手一つ
三人の子どもの「肝っ玉おっ母」として戦火を渡り歩き
がむしゃらに生きるその逞しさ、やがて彼女たちを飲み込む
救いのない運命―。
戦争の本質を描き出すベルトルト・ブレヒトのこの異色の反戦劇に
1988年
無名塾は挑戦しました。
約30年を経て
今こそこの作品を
この母親役を
どうしても演じなければならない。
仲代達矢のその強い想いのもと
無名塾はひとつになり
命の重さと戦争の愚かさを伝える名作に再び挑みます。




終演後のカーテンコールに
今は亡き仲代さんの妻
隆巴さんの写真が掲げられました
今もなお演出しているのだと・・・

この芝居を観るのは多分5回目?
最初は千田是也演出 岸輝子さんの肝っ玉
私が18歳の頃でした
そして中村たつさんの肝っ玉
たつさんは最初はカトリン役だったとか・・・
意外な舞台は
栗原小巻さんの肝っ玉
肝っ玉は本来は色っぽい役なのだな〜と思いました
最近では劇団どろの公演もありましたね
こんな時代だからこそ
戦争の愚かさと命の大切さを伝えなければならない
強くそう思います。

最後は皆で記念撮影
京都労演からもたくさん参加されていましたね



記念撮影のため舞台に上がり空を見上げると
満月
明日は中秋の名月十五夜です
好い時期に良き芝居を楽しめました
今夜は和倉温泉に泊り
明日は万葉歴史館
国宝・瑞竜寺
高岡大仏をみて帰ります


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