『お気に召すまま』

観劇記 あまご 
2014年2月15日
あうるすぽっと

          作 :ウイリアム・シェイクスピア   
          訳 :小田島雄志 
           演出:高瀬久男 
          
         
 シェイクスピア生誕450年、文学座の「お気に召すまま」、「尺には尺を」の昼夜連続公演、短時間に舞台がどのように変化するのか、「尺には尺を」も見て見たかったのですが、残念でした。
 舞台中央上方に吊るされた一枚の大きな布に照明があたり、舞台の転換にともない吊る仕方も変わります。一枚の布により、時空の変化が見事に表現されていました。夜の部も同じように一枚の布で表現されるのでしょうか。シンプルな舞台装置は始まる前からワクワク感があり想像力が駆り立てられます。
 アーデンの森は不思議な癒しを持った森なのですね、宮廷を追われた老侯爵と彼を慕う貴族たちが、なんだかとても楽しそうに暮らしています。そして娘のロザリンド達も追われて森に、ロザリンドを恋するオーランドも追われて森に、オーランドを憎む兄のオリバーも追われて森に、追われたもの達の恋が始まり、森に住む羊飼いの娘や若者達に加え、道化のタッチストーンまで森の娘に恋をしてしまうほど、森は新しい息吹を生み出しているようです。そして、森の外で起きた憎しみのもつれた糸が解かされて行く様は、一見、単純すぎるようにも感じますが、俗世からいったん離れて見ると、なんと愚かなことで、憎しみ合っていたのかと、感じさせるものがあります。

 老侯爵を慕う貴族の一人、ジェークイズの有名な台詞「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ、それぞれの舞台に登場してまた退場して行く・・・彼のように達観することはできませんが、この世の憎しみや争いが舞台の出来事として捉えることが出来るなら、それはとても愚かなこととして映るのでは、と芝居を観終わって、しばらく時が経った今、台詞を読み直し、再度、舞台の情景に重ねると、そんな想いが浮かんできます。
 この芝居は、昔、見たことがあるのですが、その時は単純に恋の物語として楽しんだように思います。今回は鬱ぎ屋の貴族ジェークイズや、賢い道化タッチストーンの会話がとても心に残りました。追放された貴族たちのアカペラも素晴らしく森の暮らしへの喜びが感じられました。シェイクスピア生誕450年、今年はいい機会ですから、もっとシェイクスピアの作品に触れてみたいと思います。




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