『火のようにさみしい姉がいて』

観劇記 あまご 
2014年10月12日 
シアターBRAVA 
          作 :清水邦夫  
           演出:蜷川幸雄
                   
「ぼくらは生まれかわった木の葉ように」
「ぼくらが非情の大河を下る時」など
刺激的なタイトルの芝居を書く
『清水邦夫』という劇作家がいることを知ったのは
70年代の初め
働き始めた頃でした。
舞台で始めてみたのが83年10月の「エレジー 父の夢は舞う」
民藝の宇野重吉さんと南風洋子さんが出演した芝居でした。
退職して凧を作りながら独り暮らしの老人と
亡き息子の嫁とのいがみあいと仄かな恋に似たふれあい。
当時はさっぱり判らなかったのですが
今年
戯曲を読む会で再読
そんな気持ちがわかる歳になってしまいました。
清水邦夫作品は
よく故郷や兄弟たちが現われ
シエイクスピアやチエーホフのセリフが語られ
現実と幻が交差する不思議な世界が繰り広げられます。
『火のようにさみしい姉がいて』もそんな芝居でした。



≪ものがたり≫  
開演数分前の楽屋の鏡の眼で、俳優(段田安則)が「オセロー」のセリフを口ずさんでいる。そこに、嘗ては舞台女優だった妻(宮沢りえ)が現われ、セリフを合わせるうちに、現実の会話なのかそれとも芝居の続きなのか、混沌の世界が鏡の中に消えてゆく・・・
精神的に疲れた男は妻と共に何十年ぶりに日本海に面した故郷に旅することにした。実家に向かうバス停を尋ねようと理髪店に入るが、そこには誰もいない、妻がトイレに行っている間に、時間つぶしに、鏡の前で「オセロー」のセリフを口にする。己のセリフに酔ってしまった男は思わず髭剃り用のカップを割ってしまう。その瞬間、理髪店の女主人(大竹しのぶ)や怪しげな村の人々が次々に現われて、男の過去を暴き始める。それは真実なのか演技なのか・・・やがて、女主人は、男の姉だと名乗り・・・二人の不思議な過去が明らかになって行く。


不条理劇のような難解な芝居でしたが
60〜70年代にかけて故郷を捨てて
都会に出てきた若者たちの気持が現われていて共感できます。
故郷=田舎=新潟の寒村は
近隣の人々との関係を無視するわけにはゆかない
没個性的な凝縮した世界としての一面もあるのですが
都会の暮らしが人間的であるかといえば
必ずしもそうではない
どこか仮面を被ったような暮らしをしているように感ずることもあります。
「自分はいったい何者なのだろうか」
故郷を思いだしたり
人と人とのかかわりに思いを馳せた時
ふと感ずることがあります。
『この世はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ』
「お気に召すまま」
ジエークイズのセリフです。
それにしても豪華な俳優陣でした。
新橋耐子さん立石涼子さん市川夏江さんで
三婆として脇を固めるとは
蜷川幸雄さんならではですね。

蜷川幸雄さんが芸術監督を務める55歳以上の劇団
「埼玉ゴールド・シアター」の皆さんも
村人の集団としてとてもよかったと思います。
大竹しのぶ&宮沢りえ
いま最も旬な女優さんの対決がみれました。
段田安則さんはやっぱりうまいですね。
私にとっては
ちょっと豪華すぎる配役でした。
初演は76年
大竹しのぶが演じる<中の郷の女>は岸田今日子
宮沢りえ<妻>を演ずるのは松本典子
段田安則が演じる<男>は山崎努。
松本典子さんは清水さんの奥様
今年の3月に亡くなれました。
清水さんの芝居にいつも女優さんが登場するのも
松本典子さんの影響なのでしょうか
残念です。
写真はパンフレットから

男(男優)
 女(女優)
 姉(中の郷の女)
 おかま(みおたらし)
 スキー帽
 青年
 見習い
 ゆ
 しんでん
 べにや
 さんざいみさ
段田安則
宮沢りえ
大竹しのぶ
山崎一
平岳大(ひらたけひろ)
満嶋真之介
西尾まり
中山祐一郎
市川夏江
立石涼子
新橋耐子

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